ふたつの仕事を同時に叶えるために、フリーランスの道を選んだ人がいる。平井あみさん、ヴォーカリストであり、ヴォーカル講師。表舞台に立つ「表現者」と、裏方として教える「指導者」を両立させ、独自の音楽ワールドを展開する。なぜこうしたワーキングスタイルに行き着いたのか? それには高校卒業後、アメリカへと渡り、音楽留学を果たしたことが大きく関与している。
そもそも音楽との出合いは5歳のとき、ピアノを習い始めたことがきっかけだ。やがて、歌うことの楽しさにも目覚め、高校に入るとヴォーカルの個人レッスンを受けるように。当時は、ポップス系バンドに参加し、バックコーラスやキーボードを担当していたが、あみさんの“歌うこと”に対する真剣さを知った先生は、アメリカへの音楽留学を提案する。
「その先生の影響でR&Bやジャズに興味をもつようになったのですが、本格的に歌をやりたいなら、本場に行ってはどうか、とアドバイスされて……。私自身、ずっと歌っていきたいと考えていたので、年を重ねるごとに歌い手の人間性が表れ、味わいを増すジャズには惹かれていました。それで迷わず留学を決意したのです」
正直なところ、“シンガーとしてデビューする”というのが一番の目標なら、あみさんの実力とルックスがあれば、高校在学中にデビューするのも夢ではなかっただろう。だが、彼女が目指していたのは “長く歌い続け、音楽とともに生きること”。それには、ジャズほどふさわしい音楽はない。
とはいえ、両親にしてみれば両手をあげて賛成というわけにはいかなかった。父はフォークギターを、母はフルートを親しむ家族ではあったが、「音楽で食べていきたい」という娘の思いを受け止めるのは難しく、心配は募るばかり。「そこで、少しでも安心させたくて、奨学金を得て、Jazz学科で名高いノーステキサス州立大学に入学しました。おかげで、私の真剣な思いを少しずつ理解してくれるようになりました」。
そもそも音楽との出合いは5歳のとき、ピアノを習い始めたことがきっかけだ。やがて、歌うことの楽しさにも目覚め、高校に入るとヴォーカルの個人レッスンを受けるように。当時は、ポップス系バンドに参加し、バックコーラスやキーボードを担当していたが、あみさんの“歌うこと”に対する真剣さを知った先生は、アメリカへの音楽留学を提案する。
「その先生の影響でR&Bやジャズに興味をもつようになったのですが、本格的に歌をやりたいなら、本場に行ってはどうか、とアドバイスされて……。私自身、ずっと歌っていきたいと考えていたので、年を重ねるごとに歌い手の人間性が表れ、味わいを増すジャズには惹かれていました。それで迷わず留学を決意したのです」
正直なところ、“シンガーとしてデビューする”というのが一番の目標なら、あみさんの実力とルックスがあれば、高校在学中にデビューするのも夢ではなかっただろう。だが、彼女が目指していたのは “長く歌い続け、音楽とともに生きること”。それには、ジャズほどふさわしい音楽はない。
とはいえ、両親にしてみれば両手をあげて賛成というわけにはいかなかった。父はフォークギターを、母はフルートを親しむ家族ではあったが、「音楽で食べていきたい」という娘の思いを受け止めるのは難しく、心配は募るばかり。「そこで、少しでも安心させたくて、奨学金を得て、Jazz学科で名高いノーステキサス州立大学に入学しました。おかげで、私の真剣な思いを少しずつ理解してくれるようになりました」。

ある日のライブの模様。場所や日によって編成を変えるそう。歌っているときのあみさんの表情はとても楽しそう!



