フリーランスで働くメリットは、「自分の働き方を自分で決められること」。とくに、子育て中の女性にとって、子どもの成長に合わせてボリュームを自由にコントロールできるのは大きな魅力といえる。
現在、区の新生児訪問や保健センターで勤務しながら、訪問で乳房マッサージケアを行っている助産師・松本佳代子さんは、第二子出産を機に働き方を変え、フリーランスという道を選んだ女性のひとり。
助産師学校を卒業後、大学病院に就職した松本さんは、内科、産科での勤務を経て、勤続7年目のときに第一子を妊娠。里帰り出産を予定していたが、そこで教科書通りには行かないお産を経験した。「子どもの心音が低下してしまって、総合病院へ緊急搬送。大事には至りませんでしたが、思い描いていたお産とはかけはなれたものでした。とくに、分娩台で上を向いて産むことのつらさは想像以上で。自分はよい助産をしていなかったなあ、とつくづく反省しました」
退院後、今度は母乳の出が悪く悩んだ。勤務時代は、「おっぱいを吸わせれば母乳は出てきますよ」と指導してきたにも関わらず、その通りにしてもまったくうまくいかない。知識があるだけに焦りはどんどん募り、気持ちは落ち込んでいく一方。そんなときに出会ったのが、訪問で乳房のマッサージケアをしてくれる助産師だった。「親身になって話を聞いてくれ、沈んでいた気持ちが軽くなりました。そして適切なケアを続けていくうちに、母乳も少しずつ出るようになっていったんです」。身近にいる助産師の存在のありがたみをひしひしと感じた瞬間だったそう。
「経験者だからこそわかる、きめ細かい助産がしたい!」。意気揚々と職場復帰を果たした松本さんだったが、待っていたのは、臨床試験の補助を行う治験コーディネーターという仕事だった。「産科に戻らせてもらえないか」と何度も申し出たが、空きがないということで聞き入れてもらえず、仕事になかなかやりがいを見つけられずにいた。
また、慣れない子育てをしながらの病院勤務は想像以上に大変だった。朝7時半に保育園が開くのを待って子どもを預けて病院へ。帰りは滑り込むようにお迎えに行く。夫は出張が多く、平日は頼れない。毎日ギリギリの状態の中、育児のほとんどを一人でこなしていた。
「今の生活は長くは続けられないかも……」
どこかでそう感じながら悶々とした日々を送っていたそう。
現在、区の新生児訪問や保健センターで勤務しながら、訪問で乳房マッサージケアを行っている助産師・松本佳代子さんは、第二子出産を機に働き方を変え、フリーランスという道を選んだ女性のひとり。
助産師学校を卒業後、大学病院に就職した松本さんは、内科、産科での勤務を経て、勤続7年目のときに第一子を妊娠。里帰り出産を予定していたが、そこで教科書通りには行かないお産を経験した。「子どもの心音が低下してしまって、総合病院へ緊急搬送。大事には至りませんでしたが、思い描いていたお産とはかけはなれたものでした。とくに、分娩台で上を向いて産むことのつらさは想像以上で。自分はよい助産をしていなかったなあ、とつくづく反省しました」
退院後、今度は母乳の出が悪く悩んだ。勤務時代は、「おっぱいを吸わせれば母乳は出てきますよ」と指導してきたにも関わらず、その通りにしてもまったくうまくいかない。知識があるだけに焦りはどんどん募り、気持ちは落ち込んでいく一方。そんなときに出会ったのが、訪問で乳房のマッサージケアをしてくれる助産師だった。「親身になって話を聞いてくれ、沈んでいた気持ちが軽くなりました。そして適切なケアを続けていくうちに、母乳も少しずつ出るようになっていったんです」。身近にいる助産師の存在のありがたみをひしひしと感じた瞬間だったそう。
「経験者だからこそわかる、きめ細かい助産がしたい!」。意気揚々と職場復帰を果たした松本さんだったが、待っていたのは、臨床試験の補助を行う治験コーディネーターという仕事だった。「産科に戻らせてもらえないか」と何度も申し出たが、空きがないということで聞き入れてもらえず、仕事になかなかやりがいを見つけられずにいた。
また、慣れない子育てをしながらの病院勤務は想像以上に大変だった。朝7時半に保育園が開くのを待って子どもを預けて病院へ。帰りは滑り込むようにお迎えに行く。夫は出張が多く、平日は頼れない。毎日ギリギリの状態の中、育児のほとんどを一人でこなしていた。
「今の生活は長くは続けられないかも……」
どこかでそう感じながら悶々とした日々を送っていたそう。

産科勤務時代の松本さん。「命がこの世に誕生する瞬間に立ち合えることは何よりも喜びで、やりがいがありました」



