「宅急便の父」が障がい者福祉に晩年を捧げた思いを知る『小倉昌男 祈りと経営』

私たちの生活に欠かせない「宅急便」。仕事でお世話になっているフリーランスも多いのではないでしょうか。
そんな宅急便は、1976年にヤマト運輸(現在のヤマトホールディングス)の元社長・小倉昌男氏により、日本で郵便以外のはじめての物流インフラとして始まりました。それまでは、小荷物配送は郵便局だけの独占事業で、一般家庭で荷物の配送をしたいと考えたとき、郵便局に持ち込む以外、選択肢がなかったのが実情でした。

そんな「宅急便の父」として知られる小倉氏ですが、後年は障がい者福祉の世界へ進みます。私財46億円を投じて、ヤマト福祉財団を設立し、障がい者が働けるパン屋「スワンベーカリー」を立ち上げるなどしました。
2005年に他界した小倉氏は、生前、障がい者福祉の世界に入った理由について、著書やインタビューで「はっきりした動機はない」と答えています。
本書は、自身の口からは語られることのなかった、障がい者福祉への思いの底を共有するノンフィクションです。

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あらすじ

「宅急便」の開発者であり、ロングセラーとなっている『小倉昌男 経営学』などビジネス書を多数出版し「伝説の経営者」として知られる小倉昌男氏。現役引退後は、私財46億円を投じて「ヤマト福祉財団」を設立し、障がい者福祉に晩年をささげました。
しかし、「なぜ障がい者福祉だったのか?」という問いの答えは「会社経営を離れたら何をするか。お世話になった社会への恩返しに、福祉の仕事をしたいと思った」、「ただ、ハンディキャップのある人たちに何とか手を差し伸べたいと思ったから」等のありがちなものでした。
「小倉はなぜ財団の設立を思い立ったのか。そして、財団活動の重点に障がい者福祉を選んだのは、どのような動機なのだろうか」
そんな疑問から始まった本書での取材で、これまで描かれてこなかった小倉氏の思いの底に迫ります。読み進めるうちに、小倉氏の思いが痛いほど伝わり、思わず空を仰ぎたくなるようなラストが待っています。

祈りと経営が合致して

小倉氏は、宅急便では当時の運輸省と、90年代になって立ち上げたメール便では当時の郵政省と「信書」を巡る論争で闘い、国を相手に行政訴訟もひるまない「行政と闘った名経営者」として知られています。
一方、「私は気が弱い。おまけに引っ込み思案で恥ずかしがり屋である」という自己評価や、生前に取材をした記者の「会うと非常に丁寧な人。取材が終わるとエレベーターまで見送ってくれる。そんな経営者も珍しかった」という人物評からもわかるように、強さだけでなく優しさや親しみやすさも併せ持つところに、今も多くの人に慕われる理由のひとつがあるようです。

ヤマトの経営から退いた後は、自身が所有していたヤマト運輸の株、時価46億円を投じてヤマト福祉財団を設立。障がい者が働けるパン屋「スワンベーカリー」の立ち上げなど、障がい者が月給で10万円はもらえるような仕組みづくりの活動に取り組みました。

多額の私財を投じたほかにも、

「ヤマト福祉財団を、運輸省からの天下りが入るような組織にするつもりがないし、ヤマトの役員を囲う場にはしないと主張した」(財団設立時、協力者に語った言葉)


「ただ見学するのではなく、白衣を身に着け、白帽をかぶった小倉はパン生地の工房や食パンのスライサー作業などを自ら体験した。パンを焼く窯ではやけどはないか、ラックやケースの重さはどれくらいか、それを知るためにあの歳で体験する」(スワンベーカリー設立前、他社の工場見学の際の様子)

など、障がい者福祉に対する小倉氏の強い思いを感じさせるエピソードが多数でてきます。

障がい者の「自立」を目指す

財団設立当初は、障がい者福祉の中でも特に障がい者の「自立」と「社会参加」に目的を絞り込んでいました。

小倉氏が、障がい者たちが働く「共同作業所」に見学に行くと、仕事内容は空き缶つぶしや牛乳パックの解体などの軽作業で、一般的に共同作業所で働く障がい者の月給は1万円に満たないものでした。そんな状況に小倉氏は愕然とします。
そして、共同作業所を「経営」するという概念が共同作業所界に欠けていることに気付いたといいます。

<作業所が働く場所というよりは、昼間、障がい者が仲間と一緒に楽しく過ごす、歌をうたったりダンスをしたりして過ごす「デイケア」が主目的の場所だったからです。だからおカネを稼ぐ仕組みがほとんどできていなかったのです>


<そこで私は考えました。自分は福祉のことは何も知らない。けれども「経営」ならばプロである。42年間ヤマト運輸の経営で苦労してきたし、宅急便という新業態をゼロから開発し事業化した経験もある。こうした経験を共同作業所の運営当事者の方たちにお話しして、「経営」の重要さを学んでもらいたい、少しでも多くの賃金を作業所で働く障がい者に払えるような仕組みをつくるのに役立ててもらえるようにしよう――>
(小倉昌男 『福祉を変える経営』)

そして、共同作業所の運営者たちに「経営」の大切さを学んでもらうため、無料の経営セミナーを各地で精力的に行いました。

共同作業所とは、1960年代から知的障がい者を対象とした作業所の設置が試みられ、その後、身体障がい者や精神障がい者へと作業所の対象が拡大された法外施設です。
共同作業所の財政基盤であった自治体からの補助金制度が多くの自治体で廃止される前の2006年4月時点では、全国に5777ヵ所あり、多くの在宅障がい者が利用していました。
共同作業所が発展してきた背景には、養護学校卒業後の障がい児の受け皿となったことや、1988年の精神保健法によって、入院中の精神障がい者の社会復帰に焦点が当てられたことなどがあります。

2015~2016年に、障がい者の通う事業所が加盟するきょうされん(旧称、共同作業所全国連絡会)が、きょうされんに加盟する事業所で働く障がい者1万4308人(平均年齢41歳、知的障がい[65%]、身体障がい[27%]、精神障がい[25%])を対象に行った調査によると、年収200万円以下が98%で、そのうち年収100万円以下が61.1%でした。そして、それらの内訳のほとんどが障害年金でした。
また、親と同居している障がい者が55%で、50歳代前半でも34.9%でした。
「家族への依存」「家族負担」という状況は、小倉氏が亡くなってから10年以上になりますが、改善されていないようです。

ただ、「経営」の大切さを追及する事業所や、そういった作業所の商品(「障がい者がつくったから」ではなく品質をきちんと評価する)を紹介するメディアなども増えつつあり、小倉氏の思いがつながっていることも感じます。

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本書を読み終わったあと、小倉氏と同じ立場の方にお話を伺ったことを思い出しました。その方も、誰にも相談できず、「こうなったのは自分の責任」とおっしゃり、「自分が死んだあと、いったいどうなってしまうのか......」と将来に強い不安を持っていました。

宅急便を開発した「名経営者」が抱いていた痛みは、今も多くの人が抱えています。障がい者本人やその家族が孤立しない社会への、強い願いを共有できる1冊になっています。

桐田 さえ

Writer 桐田 さえ

出版社等に勤務後、2013年よりフリーランスのライター・編集者に。また、産後3か月で社会福祉士を取得。現在は、当事者や専門家、高齢者施設等を取材し、主に障がいや介護に関する記事や実用書、専門書のお仕事が中心。子どものときに、おたふく風邪による難聴(ムンプス難聴)で片耳を失聴した。一女の母。

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