クリエイター

October 13 2015

Vol.100 SWATiデザイナー 中田真由美さん〜前編

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2009年のリズムーンスタート当時から続くインタビューが、いよいよ目標としていた100人目となりました! 記念すべきVol.100を飾るのは、会社員からフリーランスを経て、株式会社SWATiを設立した中田真由美さんです。

SWATiは、"ポップな遊び心" "キュートなオブジェ" "ありそうでないもの" をコンセプトに、オリジナルのキャンドルや海外の雑貨などを発信しているブランド。東京と大阪の2店舗のほか、オンラインショップ、期間限定のショップを各地で開き、その独特の世界観で女性の心を魅了しています。

企画・デザイン・制作を手がけるデザイナーであり、代表取締役である中田真由美さんと、リズムーン編集長・オノリナは、約10年前に一度、取材を通してお会いした仲。当時の中田さんは、フリーランスで次々とキャンドル作品を生みだしていたときでした。中田さんがどのような道を経て現在に至ったのか、その足跡に迫ります。

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Profile

中田真由美(なかだまゆみ)
1976年、東京都生まれ。短大の服飾造形学科を卒業後、アパレル会社に就職。退職後の1998年、「SWATi」(ヒンズー語で「星」の意)のブランド名でキャンドル制作を始める。2008年、株式会社SWATiを設立。オーダーメードのウェディングキャンドル制作や、ウインドーディスプレーなども手がける。

バイトの傍ら、キャンドルづくり

小野:こうしてまたお話する機会をいただけてとてもうれしいです。香水ボトルやハイヒール、マカロンやカップケーキなど、SWATiのキャンドルは、どれもキュートでポップ。色と香りも華やかで、私も、SWATiの世界観が大好きなファンの一人です。そもそもキャンドルづくりは、どういったきっかけで始められたのですか。それが事業として発展するまでのいきさつをお聞かせください。

中田:親が英語を教える仕事をしていたこともあって、小さいころから海外旅行に行く機会が多く、お土産として、手ごろな値段で小さくてかわいいキャンドルをよく買っていたんです。でも、そういったものは日本にあまりなかったので、「自分でつくってみようかな」と思って、短大在学中から、自分でつくっては友だちにプレゼントしていました。

短大卒業後はアパレルメーカーに就職しましたが、超氷河期といわれていた時代で、正社員は販売の仕事だけ。服やテキスタイルをつくりたいと思って入社したので、だんだんつまらなくなってしまって、1年ほどで退職することにしました。

自分のやりたいことって何だろうと模索していたとき、短大時代の友達が、「キャンドルつくれば?」と言ってくれて。その言葉に、あ、それもそうだなと思ったのが制作のきっかけです。昼間は服の販売員のアルバイトをしながら、夜はキャンドルをつくるというスタイルが、フリーランスの始まりです。

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小野:そうだったんですね。作品はどのようにして売り出していったんですか。

中田:雑貨店などを一軒一軒回って、お店に置いてもらえるよう交渉しました。でも、たかだか販売員経験しかない、無名のクリエイターが売り込んでも、ほとんど相手にされませんでしたね。「そこ、置いといて」といった感じで冷たい対応をされることも多く、悔しくて泣きながら帰ったこともあります。でも、実力がないんだ、いつか振り向かせてやる、と頑張るバネにもなりました。家賃や材料費を稼ぐため、アルバイトを続けながら制作する生活を3年ぐらい続けました。毎晩2、3時間くらいしか眠っていなかったので、体調を崩して倒れることもありました(笑)。

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小野:体力的にも、恐らく金銭的にも大変だったと思うのですが、そんな思いをしてでも続けられたのはなぜなんでしょう。

中田:キャンドルには何か可能性を感じていたんですよね。これは商売として自分の肩書きになる! みたいな。この苦しみは自分に与えられた試練かもしれない、とも思っていました。時間の空いている友だちが何人も自宅兼アトリエにやってきて一緒に制作してくれるなど、いろいろバックアップしてくれていたので、簡単にはやめられないという思いもありました。

小野:なるほど。リズムーンが、少しずつですが大きくなってこれたのも、そういったまわりの応援やサポートがあったおかげなので、「簡単にはやめられない」という気持ち、ちょっとわかるような気がします(笑)。

とんとん拍子のはずが......

小野:SWATiを多くの人に知ってもらえるようになったきっかけは何だったのですか。

中田:2001年、25歳のとき、中目黒で個展を開いたんですが、これが大盛況で、並べた商品が全部売れてしまいました。それがきっかけで、毎月のように何かしらの雑誌に取り上げられるようになり、どんどん仕事が舞い込んできたんです。当時ブームだったセレクトショップからも、商品を置いてほしいという依頼がありました。

小野:それからは、とんとん拍子に拡大していったんですね。

中田:いえ、じつはそうではないんです。「こういうの、つくれる?」と依頼があると、「できます、やります」といって、全部引き受けていたので、徹夜に次ぐ徹夜......。26歳ごろから、目がピクピクしだしました。ちょっとした疲れだろうと思っていたのですが、どんどんひどくなってきて、病院に行くと「顔面痙攣(けいれん)」と診断されました。緊張とストレスによって、脳が眠れなくなったということでした。

小野:ええ!そんなことがあったんですね。

中田:薬を使った治療法もあると言われましたが、私は手術を選びました。28歳のときです。退院後もしばらくは療養のため、新規の依頼はすべてお断りしました。収入はだんだんなくなるし、復帰後また戻れるのかな、ととても不安でしたね。

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UN DOUZEがブレイク、法人化へ

中田:手術後、症状が治ったので、もう一回、ゼロから営業をスタートさせました。でも、これまでどおりの商品展開では、しょせん趣味の延長にすぎないんじゃないかと思ったんです。

小野:SWATiを広く知らしめることになった「UN DOUZE(アン ドゥーズ)」シリーズのキャンドルを発売されたのは、この頃ですか。

中田:はい。「UN DOUZE」は「12分の1」という意味で、コンセプトに沿って12種類のキャンドルを用意し、買う人に「これ、自分に当てはまるな」「あの子にぴったり!」と思わせる仕掛けのある商品です。第一弾は誕生石をモチーフに12種類を用意したところ、一気にブレイクしました。多くの女性に、すごく新鮮なものとして映ったのだと思います。

小野:前回お話を伺ったのは、ちょうどその頃だったと思います。「UN DOUZE」のコンセプトをお聞きして、すごく共感して、私も母や妹にプレゼントしたのを覚えています(笑)。この頃から、次第に法人化を考えるようになっていったのですか。

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「UN DOUZE」は現在第7弾まで展開されている。

中田:そうですね。徐々にまた雑誌にも取り上げられるようにもなって仕事も増えましたし、それまで一緒に制作していた3人に加えて、働かせてほしいと自ら履歴書を持ってきたくださる人もいて、人を雇う体制をつくりたいなと思いました。あと、伊勢丹で2カ月限定のショップを開いたとき、ものすごい売上が出て、そのまま出店することになったんですが、さすがに個人との取引はできないから、会社にしてほしいと言われたのも大きなきっかけです。

実は私、数字は苦手だったんですけど、思いがけず簿記にはまってしまって、日商簿記1級の資格を取得しました。だから、会社の経理もできそうだと思って、えいやっと。2008年、32歳のときでした。

法人化を果たし、株式会社SWATiの代表取締役となった中田さん。後半では、その後の展開から現在に至るまでのお話を伺いました。こちらからご覧ください

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