音楽・芸能

March 09 2017

Vol.108 クラシックバレエ指導者 ロッシ池上理恵子さん「バレエへの情熱を持ち続け、異国の地で教室を開講」

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Profile

東京都生まれ、埼玉県新座市育ち。5歳でバレエを始め、ほぼ毎日都内へ通って鍛錬を積む。バレエ一色の生活をしたかったが、母親の強い薦めで大学へ進学するもあきらめきれず、通訳や家庭教師のアルバイトで貯めた資金と親の援助で1年間渡仏。パリから150kmほど離れたランスの国立バレエ学校(コンセルヴァトワール)の門をたたき上級クラスに入学、すぐに劇場バレエ団へ。大学卒業後、スイスでベルンのバレエ団で踊ったが同団の資金難のため退団、フリーランスの指導者に。ベルンで10年間、チューリヒで10年ほど教えてきた。ピアノの腕前もあり、バレエのピアノ伴奏ができるほど。スイス人のご主人と2人の息子と4人暮らし。

Rieko Ballett (2003年設立) http://www.rieko-ballett.ch

スイスといえば、毎年1月下旬に開催されるローザンヌ国際バレエコンクールが有名だ。今年も、日本人の若者たちが上位に入賞したばかり。そのローザンヌから電車で2時間のチューリヒで、クラシックバレエの指導をしているのがロッシ池上理恵子さん。生徒は、趣味として習いたい、プロを目指したい、プロのフィギュアスケーターで体の動きをさらに発展させたいと、さまざまな目的を持った子どもから大人まで幅広い。

大きな愛らしい瞳が印象的だが、その奥にはバレリーナへの道、フリーランスの指導者としての道を切り開いてきた強さが垣間見える。「バレエが私の人生そのものです」と話す理恵子さんは、どう歩んできたのだろうか。

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レッスン時の理恵子さん。チューリヒにて

バレリーナへの道は、自分で切り開いた

自分がやりたいと思ったことを貫く。決して簡単にできるわけではないが、理恵子さんはその強い信念を子どものころから身につけていた。都内までほぼ毎日バレエ教室に通い続けたこと、母親を安心させるために、バレエを続けつつ大学受験の準備を頑張ったこと、パリやランスのバレエ留学もすべて自分で準備したこと、そしてバレエ教室の開講も。

「いまは、日本人の若い子たちがたくさんバレエ留学をしていますが、私がパリやランスに行った25年ほど前は、あまり日本人はいませんでした。とくにランスのバレエ学校や、劇場バレエ団には一人もいませんでした。言葉がわからないもどかしさ、親や親しい友人がいない寂しさ、自分はやっていけるのかという不安、そういったことと日々向き合いながらバレエ学校に行っていました」

ダンサー時代は、フランス人の同僚が多い中で自分の持つ力を出し切るよう頑張った。「このダンサーはいいねと認めてもらうには、それしかなかったですね。言葉はすぐには上達しなかったですが、ダンスで自分の居場所を築いていくことはうまくいったと思います」

ダンサー人生は20代後半まで。指導者になるのは一握り

バレエの指導者というと、プロで踊って引退したあとの仕事だと思っていた。でも「必ずしも踊り手の経験は要りません。イギリス、ロシアなどには、バレエの指導法だけを学ぶコースもあるんですよ。指導法さえ学べば教えることはできます」と理恵子さんから意外なことを聞いた。また、プロで活躍した人でも必ずしも良い指導者にはなれないという。

「ひたすら踊る技術を高めてきた人は、ある動きができない子どもや大人を指導したり励ましたりする方法を100%わかっているとは限りません。ダンサーとして現役を退いて、教える仕事に移る人が多いかというと違いますね。バレエは精魂が尽きるほどやったから、引退後はバレエに関わりたくないという人も多いです。教えたいという意欲が高くて、教える力がある人が自分でバレエ教室を開いたりしています」

以前は40歳近くまでは現役でいられたが、近年はバレエ人口が増えて競争が激しくなった。そのため、プロダンサーとしてのキャリアは24~26歳で終わるのが普通(※)、運がよくても20代後半までだという。舞台に立てる期間は、本当にとても短い。

(※)人によりけりのため一概には言えないものの、22歳くらいでやめる人も割合といるそう。16~18歳でプロ入りという人もいる中、30歳でどこかに入団というのは、ディレクターと気が合えばあることだが珍しいという。主役級になればキャリアは長めになる。

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バレエといえばトウシューズ。爪先に綿やトウパットを詰めて履く。

偏見にも負けず、教室を立ち上げる

舞台で踊ることが好きで仕方なかった理恵子さんは、できるだけ長いキャリアを築くことだけを考えていた。スイスのベルンで、所属バレエ団が資金難に陥ったと知ったときは悩んだ。モダンバレエでなく、クラシックバレエの団体はほかの町にもあったが、結婚してベルンに落ち着く予定だったので、遠い町まで通うことは避けたかった。

同僚たちの多くが海外のバレエ団へ移っていった中、理恵子さんは、同市でバレエ教室を開くという答えを出した。26歳のときだった。一生バレエとかかわっていたい。海外でたくさんの人たちと交流してきたこともあって、いろいろな人たちと近しくかかわる仕事がしたい。自分の経験を余すことなく伝えていけば、きっとスイスでも指導者としてやっていける。そして何よりも、「バレエでみんなの生活が楽しく豊かになったら、こんなに嬉しいことはないと思いました」と回想する。

「当時ベルン市にはバレエ教室が見当たりませんでした。いきなりどこかで場所を借りて単独でやるよりも、文化センター内でバレエのコースを開講してもらえたらと、受付に行って直談判しました。いくつかに聞いて、バレエよりもその言葉(外国語)をどうにかすべきよと嫌味を言われたりしましたね。一般の人には、東洋人が西洋生まれのバレエを教えるなんておかしいという偏見もありましたし。こんな環境では難しいかなとあきらめの境地になりつつも、最後に聞いたセンターが、興味を示してくれたのです。ベルン市に住む日本人の子どもたちやお母さんたちがやりたいと言ってくれて、10人くらい集まりました。少人数とはいえ、子どもと大人の各教室ができそう、それならチャンスをあげますよとセンター長が言ってくれたのです」

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自分の教室Rieko Ballettでのグループレッスン

パリやランスではフランス語、ベルンのバレエ団内では英語だったので、ベルンで使われているドイツ語は、ほぼ手つかずの状態だった。でも、地元の人を生徒にしていくには言葉は必須とドイツ語を必死に勉強した。

「日本人の生徒や親御さんたちから口コミで広がって、スイス人が徐々に増えました。気がついたら、スイス人ばかりという状態になっていましたね。みんな踊るのが大好きで、やる気満々でした」

そのうち、インターナショナルスクールやブリテイッシュスクールからも声がかかって教えるようになった。国立マックリンゲン(Magglingen)体育大学で教える仕事も得た。代替教員として新体操を教えたら学生たちから「理恵子先生がいい!」と大好評で、そのままずっと教えることになったのだった。トランポリンや高跳びなど、オリンピック選手も含めて指導にあたる一方で、自分の教室も並行した。

「ものすごく忙しかったですね。でも自分の教室のレッスンは絶対に穴を空けないと必死でした。みんな、本当に楽しみに私の所へ来てくれていたのです。ときどき、レッスンのために大学での指導を抜け出さないといけなくて平謝りしていましたが、同僚コーチには、そんな趣味程度のバレエより、有望な学生の方が大事なはずと思われていました。それでも、私にとってはレッスンがなによりも大切でした」

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スイスの元フィギュアスケート選手ステファン・ランビエールさん(左から2番目)などを指導した経験もある。

そうして忙しくも順調だったある日、ご主人の転勤に伴って、電車で片道1時間離れたチューリヒ市に引っ越すことになった。理恵子さんは、ベルンでは後任を探して教室を譲って一区切りをつけ、チューリヒで新しいスタートをと考えた。ところが、「回数が減ってもいいから続けてほしい」と生徒たちに泣いて懇願された。最初は週3回を確保し、長男が生まれてからも、頼れる親戚が近くにいない中でやりくりして週1回通い続けた。ベルンの教室は次男を出産する直前まで続けた。

この間、チューリヒでもネットワークを広げていった。今度は誰かのもとでではなく本当に独立した形で、自宅にRieko Ballettという教室も作った。

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Rieko Ballettでは、2年に1度発表会を開催している。プログラムはすべて理恵子さんのオリジナル。特別の練習時間を組んで親たちに伝えることから、衣装をすべて揃えることまで、すべて一人でこなしている。

どんなに失敗しても、絶対に大丈夫

理恵子さんは「フリーランスで働きたいと考えている女性に、これだけは言わせてください」とコメントをくれた。

「フリーランスになるには、まず勢いが必要です。理想や夢があっても、一歩を踏み出すことができない人が本当にたくさんいます。恥ずかしい、怖い、できない、そんな気持ちになるのは当たり前なのです。怖くても、その一歩を踏み出してほしい、多分ね、ああ、こんなものか、意外に大丈夫だって感じるはずです。

次は覚悟ですね、いい時とひどい時が定期的にやってくるので、それを乗り越える精神力です。ひどい時、それがどんな状況であっても、あきらめないでください。その理想や夢の方向に気持ちが向かっていれば道は開けます。大きな失敗をしても取り返せる、絶対に先へつながっていますから歩み続けてください。

あとは、自分を応援してくれる人が必ず現れるはずですから、そういう人とつながって進んでください、反対したり嫌味を言ったりする人、足を引っ張ろうとする人は必ずいます、人間社会ですから。でも、そういう人を気にかけずに、何があっても自分を信じてほしいです」

「私もいいことばかりではありませんよ。今後も順風満帆ではないでしょう。でも、どんなことがあっても、これからも教えていくつもりです」。キッパリとそう宣言した姿が素敵だった。

ある一日のスケジュール

06:00

起床。中学生の長男のランチ(弁当)と朝食の準備をしながら洗濯機を回す。一日のスケジュールやメールをチェック

07:00 小学生の次男を起こし、子どもの朝食タイム
07:30 次男のバイオリン早朝練習や宿題、学校の持ち物の最終チェック
08:10 犬の散歩がてら次男と学校の途中まで一緒に歩き、帰りにスーパーで買い物
09:00 部屋の片づけ、掃除など。時間に余裕があればピアノも弾く
10:00 自宅のスタジオで大人のバレエクラス
11:45 昼食準備。できたら夕食準備も兼ねてする
12:20 次男が小学校から昼休みに帰宅。一緒に昼ご飯を食べる。食後、バイオリンの練習にピアノ伴奏も兼ねて付き合うことも
14:00 再び次男を送り出してから、幼児クラスから小学生クラスのレッスン
16:00 子どもたちが帰宅。次男を習い事に送ったあとすぐ家に戻り、小学生クラスやプライベートレッスンを続行
20:30 次男を再び車で迎えに行き、帰宅後夕食
21:00 明日の連絡事項の確認やメールのやり取り。お風呂に入ったあとは、本を読んだり、子どもとのコミュニケーションタイム

Q&A - クリエイティブでいるために心がけていることは?

毎週のレッスンをどう組み立てるか、そして発表会の内容をどうするかなど、本当に感性が必要だと感じます。コンサートに出かけたりスケートを見に行ったり、いまは以前より少ないですけれど何かをインプットする努力はしています。

ただ、そういったまとまった時間でなくても、普段から好奇心を持って生活していますね。買い物に出て、素敵だなと感じた品物を見かけたら、どういうふうに作っているのかしらと立ち止まってじっくり眺めたり。
レッスン時以外は、頭の中を空っぽにするようにしています。インプットしたものが自分の中に浸透するようにしたいからです。とはいっても、そうした刺激のすべてが形として見えるようにはなるわけではありません。それでいいのです、決して無駄にはなりませんから。

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ピアノも幼少時から続けてきた。好きなことはとことんやるのが理恵子さん流

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