2018年1月、最新著作『ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス』を上梓した大江千里さん。
撮影:奥西淳二
1980~90年代のJポップ全盛期に、「十人十色」、「格好悪いふられ方」など数々のヒット曲を発表した大江千里さんが、2008年に単身渡米し、ニューヨークでジャズミュージシャンとして活動しているのをご存知ですか?
20代、30代の方なら、新海誠監督のアニメ映画『言の葉の庭』(2013)のエンディングテーマに起用された「Rain」(作詞・作曲/大江千里)のカバーバージョンで、その世界観に触れた人も多いはず。
10年前、日本でのキャリアと仕事環境を手離し、いち音大生としてジャズを学び始めた大江さんは、言葉の壁、47歳という年齢の壁にぶちあたりながらも4年半をかけてニューヨークの名門音大を卒業。その歩みを綴った前著『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』が5版を重ねるロングセラーになっています。
今回ご紹介する『ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス』はその続編。音大卒業後、ニューヨークでジャズミュージシャンとして生きるべく、グリーンカードを取得し、インディーズのレコード会社・PNDレコーズを立ち上げ、社長兼アーティストとしてビジネスをスタートさせた大江さんの奮闘が描かれています。
会社といってもマネージャーも事務員もおらず、コンサートのスポンサー探しからバンドのミュージシャンの手配、会計士に提出する決算報告書の作成からCD発送に至るまで、あらゆる業務を行うのは大江さん自身。
そう、大江千里さんも「フリーランス」なのです。
気が遠くなるほど多くのやるべきことをやりながら、日に最低3時間のピアノレッスンをし、アーティストとしてライブや楽曲制作に取り組む。その様子を大江さんは、「1日30皿だけランチを出す食堂」と表現しています。
「30皿しか出せない」のではなく、「30皿だけを出す」。そんな意識で"自分の店"に誇りを持ち、日々の業務に向かうさまは大変そうだけれど楽しそうです。
大江さんの「ひとりビジネスのルール」
本書がひとりのミュージシャンのニューヨークライフ奮闘記として面白いのはもちろんですが、「フリーランスとしての生き方」という視点で読むと、勉強になる要素が山ほどあります。
たとえば、起業するにあたり、大江さんが決めた「ひとりビジネスのルール」を少しだけ覗いてみましょう。
「その1 利益の出ないことをやらない」では、CDのプレス枚数が少なくても確実に利益を出すために、大江さんがしているさまざまな工夫が書かれています。
このルールは、"黒字にならない仕事はしない"ということではありません。ギャラ自体は低くても、それが今の自分に必要で、未来につながる仕事だと感じれば、大江さんは条件を提示するなどして快く引き受けます。
そして自分の音楽に関わる人たちに気持ちよく仕事をしてほしいから、ツアー先での外食費は惜しまないそう。「(お金を)何に使い何に使わないか」をそのつど考え、その判断をのちに役立てるためにメモに残しているといいます。
その結果PNDレコーズは、起業5年目時点で、「収入自体は非常にいい感じ」(会計士さん談)なのだそうです。
「その2 志は高く」「その3 先行投資(を重視する)」に続き、「その4 小売精神の徹底」では、1枚目のジャズアルバムをより多くの人に聴いてもらうため、価格を安く設定した際の舞台裏が明かされています。
さらにCDを発送する際に、すべてのCDに購入者の名前と大江さんのサイン、そして世界にひとつしかないメッセージを書き添えることが、「ひとりビジネスの醍醐味」であるとも。CDの発送作業ひとつとっても、大江さんがいかに仕事に真心を込めているかが伝わってきます。
「その5 プロに依頼する」では、業務内容を状況次第でプロに委託することの必要性が書かれています。大江さんは2012年、1stアルバム『Boys Mature Slow』の宣伝をプロのPRに任せ、とても好調なセールスを得ました。そこで2ndアルバム『Spooky Hotel』(2013)は、試しに宣伝の人をつけずに自力で売ろうと奮起します。
ところが、アメリカにおけるPRは雑誌、ラジオ、新聞など各分野に分かれているため情報が浸透せず、アメリカでの販売枚数が思うように伸びなかったのです。この経験から、アメリカではPRと組まなければ音楽が広がりにくい現状を知り、大江さんは3rdアルバム『Collective Scribble』(2015)で更なる戦略をひねり出します。
これを費用対効果という観点で見ると、私たち一般のフリーランスも、どこまでを自分でやり、どの部分を外注すればよいかの大きなヒントになります。
満月と新月の日には「プチ断食」で心身をリセット
これらはどれも大江さん自身がトライ&エラーを繰り返し、実体験から学ばれたことです。その貴重な体験の記録は、ビジネス面はもとより人間関係や生活術など多岐に及んでいます。フリーランスにとって特に大切な"心身の整え方"もそのひとつ。
大江さんが習慣にしている愛犬・ぴーすとの散歩やウォーキング、満月と新月の日に行う「プチ断食」などは、リズムーン読者の皆様もさっそく試したくなるのではないでしょうか。
日本にいた頃は大手レコード会社に多くを任せていた大江さんの52歳での経営者としての船出は、いきなり順風満帆というわけにはいきません。でもうまくいかないときこそ気持ちを切り替え前を向くことと、あきらめずに続けることの大切さが本書からはひしひしと伝わってきます。
大江さんの起業から6年の軌跡を読み終えるころには、私の「ブルジャズ」は付箋だらけ。たまにページを開くと、今この瞬間もニューヨークで夢への階段を登り続ける大江さんの姿が大きなパワーを与えてくれます。
★2018年2月に帰国時の大江千里さんのインタビューはWebザテレビジョンでご覧いただけます
『ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス』を読むと、前作『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』も読みたくなります
Profile
©KADOKAWA 撮影:奥西淳二
大江千里/Senri Oe
1983年、関西学院大学在学中に「ワラビーぬぎすてて」でシンガーソングライターとしてデビュー。2007年末までに45枚のシングルと18枚のオリジナルアルバムを発表し、日本の音楽シーンを席捲。2008年、日本国内の音楽活動に一区切りをつけ、ジャズピアニストを目指して渡米。ニューヨークのThe New School for Jazz And Contemporary Musicに入学する。2012年、卒業と同時に自身が設立したPND Records & Music Publishing Inc.からジャズピアニストとしてのデビュー作『Boys Mature Slow』を発表。2016年、初の全曲ヴォーカルアルバムに仕上げた4枚目の『answer july』はグラミー賞のジャズボーカル部門でコンシダレーションに入った。現在、ニューヨークを拠点にアメリカ各地、南米、ヨーロッパでライブを行いながら、アーティストへの楽曲提供やプロデュース、執筆活動も行う。2017年末に発売したコンピレーションジャズアルバム『9番目の音を探して 大江千里のジャズ案内』も好評を得ている。
オフィシャルサイト:peaceneverdie.com
INFORMATION
この秋、大江千里さんがデトロイトジャズフェスティバルに出演!
デトロイトジャズフェスティバルは、世界最大規模の野外フリー・ジャズフェスティバルで、2018年で39回目を迎えます。アメリカの夏の終わりを告げるレイバーデーの週末(8月31日~9月3日)に繰り広げられるジャズの祭典です。このジャズフェスの野外ステージに、大江千里さんはなんと「ソロピアノ」で登場します!
詳細はこちら<Webザテレビジョン『日本人初!大江千里が世界最大級のジャズフェスでソロパフォーマンスを披露』>から