突然の車いす生活で知ったバリアの数々。お互いの歩み寄りでウェルカムな心をひろめたい

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2007年6月、渋谷の温泉施設で、6人の死傷者を出す爆発事故が起きました。大きくニュースとして取り上げられ、記憶に残っている方も多いと思います。
その事故の被害者のひとりが、今回お話をお聞きした池田君江さん(43歳)です。スタッフルームでの休憩中に、爆風でロッカーに体を激しく打ち付けられ、数十か所を骨折。車いす生活となりました。
現在は、飲食店を中心としたバリアフリー情報を発信するNPO法人「ココロのバリアフリー計画」(東京都世田谷区)の代表として活動されている池田さん。その活動への思いと、突然車いす生活になったことから生まれた「みんなが暮らしやすい社会」への思いをお聞きしました。

障がい者の行動範囲を決めてしまう日本社会へのショック

事故のあった温泉施設で働き始めたきっかけは? 突然、車いす生活となった戸惑いは、大きかったと思います。

19歳のときに結婚し、21歳のときに主人の仕事の関係で、生まれ育った大阪から上京しました。20歳で一人娘を出産してからは、基本的に専業主婦で、たまにリフレ等の美容関係の仕事をしていました。娘が中学に入って手が離れたのもあり、本格的に働こうと、事故のあった温泉施設で働くことにしました。

事故が起きたのは、働き始めて10日目ぐらいのことでした。スタッフ休憩室でお昼ご飯を食べようとしていたときに、突然爆風で吹き飛ばされました。骨折を10数か所して、そのなかでも一番ひどかったのが脊髄損傷で、車いす生活になりました。

その後、ある素晴らしいトレーナーの方との出会いがあり、彼がリハビリの一環としてアメリカにも連れて行ってくれました。アメリカでは、車いすでも、何の不安もなく出かけられることに衝撃を受けました。ハード面のバリアがないことはもちろんですが、バリアがあるところも、周りが当たり前のように手を貸してくれる社会でした。
日本に戻って、改めてそのギャップにショックを受けたのを覚えています。

バリアの多さから、日本では引きこもりがちな障がい者も多いです。

私も歩けるころは、食べ歩きやショッピングが大好きな普通の女性でした。でも、「バリアフリーにできていないので」「トイレが車いすでは無理なので」と断られたり、スロープが設置されていたり車いす用トイレのある「バリアフリー」のお店でも「他のお客様に迷惑になるから」と断られたり......。

「車いすで出かけられる場所」の選択肢が、駅ビルやホテル、デパートぐらいしかなくて、自分の行動範囲が決められてしまいました。誰かと出かけることも難しくなり、新しい出会いも減ってしまいました。すごく人生がつまらなくなってしまって。日本は、車いすでは自由に外出できない国なんだということが、当事者になって初めてわかりましたね。

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 「ココロのバリアフリー」をひろめるため、さまざまな場で講演活動も行う

ウェルカムな心があれば「バリアフリー」なお店に

そんな状況から今のような生活に変わったきっかけは?

あるお店との出会いがありました。引きこもりがちな生活を送っていた2009年頃に、近所に『串カツ田中』の1号店がオープンしたんですね。
大阪出身で懐かしくなり、単純に「食べたいな」と思いました。でも、バリアフリーのつくりではなさそうだし、お店のなかも狭そうで、やっぱり無理かな......、と思ったんですが、外にドラム缶があったので、最悪そこで食べることができたらと、家族と一緒に勇気を出して行ってみたんです。
すると、オーナーさん(現在の社長)が、「車いすのお客様は今まで一度も来たことがないし、自分も手伝ったことがない。どうやったらよいのかぜひ教えてほしい」と言ってくださったんです。

それまでになかった反応だったんですね。

まず入口に2、3段の段差があるところを、大学生のアルバイトの子たちが担いでくださって、店内のお客さんにも「すみません、車いすの方を通したいのでご協力お願いしまーす!」と、すごくスマートに声をかけてくださったんです。そして、お客さんたちも、ビール片手に「もちろんですよ」とテーブルを動かしてくださって。
その経験で、「バリアとかバリアフリーとか関係ないんだな」ということがわかりました。ちょっと手伝ってくれる人や、ウェルカムな気持ちがあれば車いすでも行ける場所がある、そしてこういう経営者がいることがとても心強くて。

「もう手伝い方はわかったから、またいつでもきて」と言ってくださったので、何度も通うようになりました。2号店、3号店とオープンするときにも、「今度はスタッフルームを少し狭くしてトイレを広くしたから車いすのお友達も連れてきてよ」「入口の段差はどうにもできなかったけど、車いす用トイレをつくったよ」と、報告してくださって。

お店側が「バリアフリー」を決めるのではなく、情報を提供して選んでもらう仕組み

お店側からウェルカムな気持ちで情報をもらえたら、安心して出かけられるし、「自分は車いすだから......」などと、必要以上に気を遣わずに楽しめることができそうですね。

このお店との出会いで、社長がかけてくれたような声を情報として発信できたら、と思うようになりました。お店側がウェルカムな気持ちを持っていることと、「入口の段差が何センチある」「階段に手すりがあるかないか」といった情報を伝えられるものです。

お店側が「こういう障がいの人は大丈夫」といったイメージで決めることは、無理だと思っています。「同じ車いすだから」と、イメージで一括りにされがちですけど、たとえば私も、同じ車いすの人が隣にいても、その人が何を求めているのか、どこまでできるのかは、全然わからないんですよ。だから、お店のハード面の情報を提供して、障がい者側に判断してもらえれば、と。 クラウドファンディングで資金を集め、2013年にサイトをオープンすることができました。

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Webサイトイメージ。入口幅、段差、トイレ幅、手すりの有無等の店のバリアフリー情報を事前に検索できる。http://www.heartbarrierfree.com/

サイト掲載の加盟店はどのように集めているのでしょうか。加盟基準は?

飲食店関連の協会が主催する講演会等に私がゲストとして呼んでいただいたり、アンバサダーという一緒に広めてくれる仲間がいるので、そういう人たちがいろいろな場所で話をしてくれたり、本当に紹介、紹介で広まっていますね。

加盟基準は、ウェルカムな気持ちがあることと、お店の情報を出してくれること、の2つですね。段差や階段などの、ハード面にはこだわりません。「何かお手伝いすることがあったら声をかけてくださいね」の一言が言えるお店に、加盟店になってもらっています。お店を楽しめるために、何ができるか一緒に考えてくれる、そういうお店を増やしたいと考えています。
加盟店は、現在約2000店になります。

2020年のオリンピック・パラリンピックの影響はありますか?

意識は変わってきていると思います。飲食店は特に、海外観光客も必ず食事はするので。でもやはり、今の狭い日本で、すぐにハード面を変えられるかというとそうではない。新規に個人の飲食店を開業して、そのうち約7~8割が3年以内に閉店に追い込まれると言われる厳しいなかで、皆さん、本当に一生懸命お店をされていて、つけたくてもスロープを付けられなかったり、構造上エレベーターも難しかったり......。

でも、バリアフリーなつくりでないことが「×(バツ)」ではなく、情報を出してもらえれば行ける人もいるんですよ、と店側にお伝えしたら「それならできる!」と喜んでくださるケースも多いです。気持ち的にはウェルカムなんだけど、何をどうしたら障がいのある人も来てもらえるかわからなかったというお店が加盟してくれるというケースは、すごく増えましたね。

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車いすをデザインしたオレンジ色の「ココロのバリアフリー応援店ステッカー」。加盟店に配られ「『何かお手伝いすることはありませんか?』と声をかけ、できる限りのお手伝いをする」という意思表示になる。

障がい者側にもバリアが。自分たちの主張だけだと、結局は障がい者にとっても良い社会にはならないと思う

車いすの友人と店探しをしていると、入り口の段差にスロープをつけるくらいしてくれてもいいのに、と思ってしまいます。

引きこもっている人たちが多いので、日本ではまだ車いすの人たちをそんなに見かけない。レストランに行っても、何人もいるわけではない。じゃあその人たちのためにスロープをお店が用意するかって言ったら、まだ難しいんですよね。もっと、そういうお店に車いすや身体が不自由な人たちが行くようになって初めて増えていくと思うんです。
障がい者がもっと外に出て、スロープをつける必要性を感じるお店が増えることが大切だと思います。

障がい者が入店拒否を受けてSNSが炎上することもあります。

すべてのケースではないですが、コミュニケーション不足が原因だと思います。たとえば、男性数人でやっと運べる電動車いすで、連絡なしにエレベーターのない急な階段の2階にある、スペースも狭いお店に行こうとなっても、お店側が断っても仕方がないのかなと思います。どちらが悪いわけでもなく、もう少しコミュニケーション、歩み寄りが必要だと、私は思いますね。

障がい者は自分たちの権利の主張ばかりだ、などと「障がい者の主張」に対してネガティブなイメージも聞きます。

「障がい者はクレーマーが多い」とは、よく言われますね。でも、それは健常者にもいろいろな人がいるのと同じで、障がい者の一部の人たちなんですけどね。

私自身は「障がい者だからやってもらって当たり前」ではダメだと思っていて、自分たちの主張だけだと、結局は自分たちにとっても良い社会にはならないと思うんです。障がい者側にも、相手に歩み寄り、相手の事情をわかろうとする姿勢が必要だと考えています。

当サイトも、実は健常者の方からも、ご好評いただいているんですよ。どうせ行くならみんなに優しいお店のほうがいいという考えをお持ちの方も多いようです。実際、そういうお店は、味もサービスも良いところが多いということを、私も実感しています。

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事故からちょうど10年目の2017年6月に開催されたイベント「ココロの交流会」。障がいのある人・ない人に関係なく、大勢の賛同者が集まった。

池田さんは「障がい者と健常者の歩み寄り」を活動のベースにされていますが、そのような視点を持てた理由をどのように考えていらっしゃいますか。

32年間健常者だったことと、その間は全く障がいのある人とかかわりのなかった人生を送っていたからだと思います。数段の段差にしても、そこに段差があるかどうかすら意識していなかった。でも、車いすになって初めて、それがすごく大きなバリアだということに気付く。でも、知らないことや、段差をつくったお店が「悪」なのではなくて、伝えないことには知らないだけなんですよね。でもそれを「気づいて」とダイレクトに主張するのではなくて、お互いのことを思いやったコミュニケーションが必要だと思うんです。

車いすの自分と接することで、「気付けた。ありがとう」という言葉をいただくこともあり、そんな出会いや人の優しさに触れると、車いすでも生きていてよかったなと感じます。

人と接するすべての場所が「心」で対応してくれて、それがきっかけでハード面もバリアフリーにつながっていき、最終的には、誰もが出かけやすい社会につながっていく。その願いを胸に、これからもブレずに活動をしていきたいです。

桐田 さえ

Writer 桐田 さえ

出版社等に勤務後、2013年よりフリーランスのライター・編集者に。また、産後3か月で社会福祉士を取得。現在は、当事者や専門家、高齢者施設等を取材し、主に障がいや介護に関する記事や実用書、専門書のお仕事が中心。子どものときに、おたふく風邪による難聴(ムンプス難聴)で片耳を失聴した。一女の母。

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