フリーランスのお仕事道具拝見Vol.6 〜 フォトグラファー 片島なるみさん

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■プロフィール
片島なるみ(フォトグラファー)

岡山県出身
1985年 大阪芸術大学放送学科卒業
1985年〜 広告会社、電気工事会社に勤務
1999年〜 副業でブライダルカメラマンとして撮影を始める
2005年〜 会社を辞め、フリーランスで活動開始
http://www.katashima-narumi.sakura.ne.jp/html/top.html

知人の結婚式撮影から始まったプロへの道

もともとこれになりたいという希望はなくて。勉強したくなかったし、友だちが行くからという理由で芸大に入りました。放送学科にしたのも「なんかカッコいいな」くらいのミーハーな感覚で(笑)。授業の中で一眼レフで撮影する機会もあったのですが、当時は面白いとも何とも思わなかったです。

卒業後は岡山に戻って広告会社に入社しました。もっと華やかな世界を想像していたのに、田舎だったこともあり地味な仕事だったんですね。それで「何か違う」と3ヶ月で辞めてしまい、友だちを頼ってまた大阪へ。

その後大阪の電気工事会社に入社し、広報課に配属されました。広報誌をつくるために取材をしたり、建築写真のアシスタントをしたり、新入社員の顔写真を撮ったり。そこで撮った人物写真が結構褒められたので嬉しかったですね。

あと、会社にいると同僚などの結婚式に出る機会が多くて。そういう時にも一眼レフで撮ってあげていたら「プロより上手い」と言われるようになり。それでますます撮るようになっていきました。

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photo by 片島なるみ

その後、37歳の時に、友人の結婚式を撮った写真を持ってブライダルの撮影事務所に売り込みに行きました。雑誌のクレジットを見て、事務所の場所を調べて。そこから4ヶ月間は無給で、土日はお客様のアルバム作りをしたり、サブカメラマンとして撮影をしたりしてプロになりました。最初の6年間は平日はOL、土日はカメラマンという2足の草鞋でした。会社を辞めてからはフリーランスとなり、撮影だけで生計を立てています。

転機は両親の死

私は34歳の時に結婚したのですが、その直前に父親が亡くなっているんです。
その後、友人・知人などの結婚式を撮ってあげているうちに、あまりにもご両親に喜ばれるので「結婚式の写真って親御さんのために撮るものなのかも...」と気づきまして。それが撮影の仕事を始めようと思った理由です。私は結婚式を挙げなかったので、親に花嫁姿を見せられていないんですね。なので、自分ができなかった親孝行を他の人の撮影で叶えようとしていたのかもしれません。

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photo by 片島なるみ

37歳になり、プロとして撮れるようになった半年後に、母親も亡くなってしまいました。しかもその直後に後輩から結婚式の撮影を頼まれたんです。事情も知られていないし、断れなくて。その時はさすがに辛い気持ちもありましたが、気持ちを切り替えて撮影しました。すると、その写真がゼクシィの写真コンテストのグランプリを受賞したんです!このことがものすごく励みになりました。

プロデビューして最初の頃は、気持ちが入りすぎて周りが見えていなかったし「一生懸命撮りすぎて迷惑だ」と会場の人たちから怒られたこともありました。「一生懸命撮っちゃダメなのかな...向いてないのかも」と悩んだりもしましたが、受賞できたことで「こんな私でも続けていいんだ」と思えたんです。だから、父親が亡くなったことがこの仕事を始めたきっかけで、母親が亡くなったことが続けられたきっかけと言えるかもしれません。

お仕事道具拝見!

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機材はキヤノンで統一しています。レンズは好きで20本ほど持っているのですが、結婚式の撮影の時に持って行くのは主にこれら(135mm、100mm、85mm、50mm、35mm、28mm、20mmの7本)。すべて単焦点レンズ(ズームできないレンズ)です。mm数が違うと写る範囲や距離感が変わるので、単焦点の場合は何本も持っていく必要があります。

単焦点の方がピントも鮮明でボケ感も好きなので、場面に合わせて付け替えながら撮っています。クリップオンストロボ(別付けのフラッシュ)はカメラに付けて使ったり、カメラから離してスレーブ撮影(遠隔でも光るようにして撮影)をしたり。そうすると照らしたいところを照らせるので便利なんです。

やりたいことに年齢は関係ない

カメラマンになろうとした時点で37歳だったので、実は「もう遅いかな」という迷いもありました。でもその時にたまたま岡山出身の備前焼の作家・藤原啓さんの展覧会に行き、39歳で独学で釜を構えて人間国宝にまでなったという経歴を見て、衝撃を受けたんです。「私の方が若いやん!できる!!」と勘違いして(笑)事務所に売り込みに行きました。なのでやりたいことに年齢は関係ない、ということを教えてくれたのは藤原啓さんです。

あと、私は今56歳なのですが、まさかこの歳までカメラマンをやっているとは思ってもみませんでした。ずっとブライダル撮影を中心にしてきましたが、最近は人の紹介で取材の撮影も始めたんです。複数の媒体の取材で、飲食店や病院、エステなどいろいろなところへ行かせてもらっています。そういった撮影でライティングも習得したので、ブライダルにも活かせるようになって、相乗効果が出ています。そもそもブライダル撮影はいろいろなものを撮りますし、臨機応変さや人当たりの良さが求められる仕事。だから取材でも戸惑うことはありませんでしたね。

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もう1つ重要なのが、運動! 私はもともと喘息持ちで体が弱くて、会社にいるときもそのことで迷惑をかけていました。でもカメラマンは肉体労働。「続けて行くためには運動するしかない!」と思って40歳からはずっとスポーツジムに通っています。ストレス解消にもなるし、喘息の症状もほとんど出なくなりました。その後、誘われてホノルルマラソンに出たり、去年も大阪マラソンを走りましたよ! カメラマンは腰痛になる人も多いですが、運動して筋肉をつけることが1番の解決策。運動習慣が続いているのはこの仕事のおかげですね。おかげで体型も若い頃から変わっていません。

誰かの役に立つことが喜び

今後も自分のペースで楽しくやっていけたら...と思っています。
ガツガツ営業して仕事を広げていく気はないですし、ご縁があれば続けようという感じです。結局、仕事って繋がりの中で生まれると思うので、その範囲内で十分。撮影に行って誰かに喜んでもらえたり、役に立てると嬉しい。ただ、それだけなんです。

撮影中もお客様に携帯での撮り方をアドバイスしたり、新郎新婦の親族の人たちと話すのも楽しいですし。結局人が好きなんだと思います。
仕事があって健康で働けるって、ものすごくありがたいこと。健康のためにもストレスは大敵だと思うので、好きなことをやって人生を楽しみたいですね!

<取材を終えて>

人生の先輩としても、カメラマンとしても尊敬しているなるみさん。連載の最後を締めくくるにふさわしい人だと思い、お願いしました。年齢を感じさせず、体調管理から仕事への向き合い方まで、まさにプロフェッショナル。そして思いやりに溢れていて、人のために一生懸命になれる人だからこそ、良い写真が撮れるに違いありません。今回改めてお話を伺って勉強になりました。ありがとうございます!

そして、この連載を通してそれぞれの仕事の仕方やポリシーを聞くことができ、本当に感謝しています。お話を伺う度に、自分はどんな風に生きていきたいのか、どんな人でありたいのかを考えさせられました。良い機会をいただきありがとうございました。短い間でしたが、読んで下さった方々もありがとうございます。これからも皆さんが健康に、楽しく仕事を続けていけますように! 私もまだまだ頑張ります!!

宇野 真由子

Writer 宇野 真由子

1979年生まれ。北海道出身。ビジュアルアーツ大阪校写真学科卒業。
写真専門ギャラリーでの勤務を経て、沖縄に移住。撮影会社にてブライダルを中心とした人物撮影や商品撮影等に従事。2015年秋に大阪へ戻り、フリーランスとして活動開始。撮影以外にも、写真教室・ワークショップ等、写真の楽しさを広める活動も開催している。
http://unophotoworks.top/top/

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