今の生活にアイヌアートを取り入れる|デザイナー貝澤 珠美さん@北海道

地方で働くってどんな感じ? 地域ならではのフリーランス事情を知りたい!
「地方フリーランス生活」では、自分らしいスタイルで働く地方フリーランサーに、地方で活動することのメリットやデメリットのほか、日頃心がけていることなどを伺います。今回は北海道で活動されているデザイナーの貝澤 珠美さんにお話をお聞きしました。

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■貝澤 珠美さん プロフィール

活動地域 北海道
フリーランス歴 21年
職種

アイヌアート デザイナー

経歴

北海道平取町二風谷(にぶたに)出身の、アイヌ民族のデザイナー。1997年にアイヌ模様をベースとした現代的なデザインが特徴的な「TAMAMIブランド」を設立。2008年のG8洞爺湖サミットでは、各国首相に贈呈する風呂敷を製作、2015年のミラノ万博ではアイヌ文化紹介ステージを演出するなど、活躍の場を世界に広げている。

ウェブサイト

現在は、どんなお仕事をしているのですか? 

アイヌアートを生かした現代的なデザインを手掛けています。挑戦している分野は、伝統工芸(刺繍、木彫り)からインテリア、グラフィック、ファッション製作、デザインまで幅広いです。

これらの仕事の他に、札幌市内にあるさっぽろ自由学校「遊」で、毎週水曜日の午後にアイヌアートデザイン教室を開いています。教室で大切にしているのは、アイヌ文化を感じてもらうこと。自分の手で模様を描き、アイヌ模様の基礎や流れのルールを知ってもらうようにしています。アイヌ刺繍は、一見簡単に見える模様もあるのですが「実際に手を動かしてみると難しい...」ということが多々あります。みんなで針を動かすひとときは、昔のアイヌたちがどんな状況、気持ちで刺繍をしていたのか想いを馳せ、アイヌ文化を体感できる時間となっています。

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3年に1回、展示会を開催しており、タペストリー、着物、バッグなどを作って展示しています。
ベテランの生徒さんたちが作った小物の販売もしています。

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G8洞爺湖サミットで各国首相に贈呈した風呂敷

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道立近代美術館「AINU ART展」に出展したデザインの数々。

フリーランスになる前は、どのような仕事をされていましたか?

北海道造形デザイン専門学校インテリア学科を卒業した後、内装会社でデザインと設計をしていました。フリーランスになったきっかけは、22歳の時にアイヌ刺繍を習ったことです。アイヌ模様に魅了され、それを表現したいと思うようになり、独立を考えるようになりました。

今のようなお仕事を始めたきっかけは?

デザイン専門学校のとき、授業で「自分のアイデンティティとは?」を考える機会がありました。その時、それまでできる限り避けてきた、自分のルーツであるアイヌ文化、アイヌ模様が浮かびました。その時に、

「昔の着物を今の時代に着る事は難しい、でもカッコよく現代風にデザインするとそれがアイヌ文化を知るきっかけになるのでは?」

「今のアイヌ民族の事を知らない人はたくさんいる。そして私も含めアイヌである事が嫌な人もいる。だから、アイヌ文化を知ること、好きになることは、私自身を好きになることにつながる」

と考えたことがきっかけです。こうしてアイヌアートのデザイナーを志すようになり、現在に至ります。

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千歳空港国際線・連絡通路フラッグをデザインしました。

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ニセコ甘露の森にておこなわれたファッションショー。

アイヌアートの魅力や特徴を教えてください。

アイヌ模様は、直線を基本にした、いつまでも途切れずに続く模様です。ここには「いろんな文化や考え方がいつまでも続いてくれるように」という想いが入っているのではないかな、と私は思っています。もう1つ特徴として挙げられるのは、角をとがらせることです。着物も、外にふれる場所に必ず刺繍を入れています。ここには「外から悪い神様が入らないように」という願いが込められています。

世の中にはたくさんデザインがありますが、アイヌ模様は、そんな中でもパッと見るだけで「これはアイヌ模様だ」と分かります。この独特の雰囲気、強い個性が、アイヌ模様の魅力です。

北海道を拠点に活動し続けるのはなぜですか?

私は人口の約7割がアイヌ民族の血を引く人達が住んでいる、二風谷という村で生まれ育ちました。でも、大人になるまでは田舎も嫌でアイヌも嫌でした。その原因は「アイヌであることは、恥ずかしい」というまわりの空気。学校でも、アイヌらしい顔の子はからかわれることが多く「アイヌであることは、自慢できることではない」と思うようになりました。それでも小学生の頃はアイヌ語教室に行き、言葉や踊りを学んでいたのですが、中学生になって自我が出てからは、良くないイメージが多い「アイヌ」の文化に積極的になれず「アイヌ=どうでもいいこと」になり、教室にも行かなくなりました。中高生の頃は、田舎よりも都会が好きな、どこにでもいそうな女の子でした。

転機になったのは、高校卒業後に入ったデザイン専門学校です。自分の個性を追求するなかで、私の今の源は、二風谷の自然の中で感じたこと、体験したことだと気づき、アイヌ文化が好きになりました。今では二風谷が大好きですし、二風谷で生まれ育ったことに感謝しています。だから、今も北海道に住み続けています。

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実家の田んぼにて。

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二風谷の冬の風景。

地元と地元以外のクライアントの割合をお聞かせください。

う〜ん、正直わからないですが、私のやっていることは、海外や東京の方から注目されるので、そちらからの仕事の発注が多い気がします。ただ、今年(2018年)は北海道命名150年なので(アイヌには関係ないのですが)、最近は「北海道らしさを出したい」という道内からのデザイン依頼も増えています。

営業や普段の仕事では、どんな点を工夫していますか?

営業が不得意で...。お仕事は、口コミやマスメディアの影響やホームページ等を見たというきっかけからの依頼が多いです。ただ、その際、遠方のクライアントからの依頼の時は、メールだけですませず、必ず電話して声を聞くようにしています。

今後の目標をお聞かせください。

私の祖父がいつも言っていた

「アイヌ民族が誇りを持ち生きていける、その階段の一段を生涯で作れたらいい」

という考えに深く共感しており、それを目標にしています。

私は、2001年におこなわれたアイヌの若者による青年の主張コンクールで「私の目標はアイヌのブランドを作ること。その作品は、観光地に置くものではなく、東京などのファッションビルに出したい」と話しました。その思いは今も変わっていません。今後も、みんなに「かっこいい」「かわいい」と言われるようなアイヌアートのデザインを広めていきたいです。また、アイヌ刺繍は短期コースが多く、私のように長期的に続けて習得できるところは少ないので、これからもアイヌ刺繍の教室を続けていきたいです。

最後に、地方で働くことに興味のあるフリーランサーへ、メッセージをお願いします。

一度きりの人生、やりたい事をやり、行きたいところに行ってください!

※この連載のバックナンバーはこちらからご覧ください。

曽我 美穂

Writer 曽我 美穂

子どもの頃から環境に関心を持ち続け、現在はエコライター・エディター・翻訳家として独立。環境に関する雑誌やWebサイトでの執筆、翻訳、書籍編集、フェアトレードカタログの企画編集のほか、環境NGOやNPO法人の広報活動にも関わる。また、2年前から地元の公民館や自宅で、こども英語教室の運営も行っている。私生活では2009年生まれ、2012年生まれの二児の母でもある。

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