Profile

1972年イタリア生まれ。ローマ美術大学卒業後、1997年より東京に在住。イタリア語講師や翻訳などをしながら、2000年から自宅で料理教室「La mia Italia」を開催。2008年にデロンギ代官山にて「La mia Italia代官山校」を開校(2010年に閉校)、2010年からは渋谷に拠点を移し、料理教室だけでなく、テレビや雑誌等でもイタリアの家庭料理の素晴らしさを伝えている。著書に、イタリアの食文化をまとめた『南イタリア―スローフードな食卓より』がある。
遠くへ行きたい!ゴッホに導かれ東の果て日本へ
シンプルな教室は、季節ごとに装飾を変えるなど美術大学を卒業したアドリアーナさんのセンスが光っている。ちょっとしたスペースをうまく活用するために、収納棚やディスプレイ棚なども自作したそう。
アドリアーナさんが生まれ育ったのは、ナポリから約60キロ離れた人口2000人あまりのカンパーニャ州プレセンツァー村。村の誰もが顔見知りで、情報がすべて筒抜け状態だった故郷を離れて、いつか大都会に住みたいという思いから、ローマの美術大学へ進学。ゴッホが大好きで、ゴッホに影響を与えた葛飾北斎にも興味を抱いてはいたが、将来、まさか自分が日本に来て、しかも料理教室を開いているとは夢にも思わなかったと言う。
「大学でともに学んだ日本人留学生の奥ゆかしさや控えめなところが大好きでした。卒業旅行で日本に2週間ほどホームステイしたら、さらに日本が好きになってしまって」。その後、家族の反対を押し切って、1997年に来日。日本語学校に通いながら、イタリアレストランでアルバイトして生活費を稼いだ。
そして、そのイタリアンレストランで食べたカルボナーラがアドリアーナさんの人生を変えることになる。「日本に来ていろいろびっくりしたけれど、一番衝撃的だったのはカルボナーラ。生クリームだらけでカリカリに焼かれた薄いペーコンが入っている。注文を間違えたかと思いました」
本場イタリアのカルボナーラは卵黄とチーズとこしょうがたっぷりで、生クリームは入っていない。他にもイタリアでマンマが作ってくれた料理とはかけ離れたものがイタリア料理として日本では食べられていた。「本当の味を知れば、本物の方がおいしいと分かるはず。いつか本当の<マンマの味>を日本に伝えたい!」
『扉はいつも開けておきなさい』 とりあえず一度受け入れてみる
マンマの味を伝えたいというアドリアーナさんの想いは、ほどなく実現することになる。イタリアでは、買ったものではなく、手作り料理が何よりのおもてなし。ごく当たり前のこととして、周囲の人や友だちに自分の手料理を振る舞っていたところ、食べた人たちから「料理を教えて欲しい」と言われるようになった。そして、最初は出張で、2000年からは自宅でもイタリアの家庭料理を教え始める。
クチコミだけで生徒数は順調に増えていった。特別な営業や宣伝は一切していないのになぜ? 「自分から売り込むのは性格的に苦手。でも、まずは体験レッスンに参加して私の料理を好きになってもらって、『この味を覚えたい』と興味を持ってもらえるように工夫はしています」
書籍の中では、南イタリアの田舎では、女性は子どもの頃から遊び感覚で料理を習うエピソードがいくつも紹介されている。「たとえば、トマトの収穫時期には、親戚中が集まって1年分のトマトソースを作るのですが、トマトを洗ったり、瓶の中にバジリコの葉を入れたり、姉や従姉妹たちと一緒にマンマのお手伝いをして、少しずつ料理を覚えていくんですよ」
『南イタリアースローフードな食卓より』
実際、東京書籍からイタリア文化に関する本を出版することになったのも、もともとは、イタリア語の能力試験の対策本の企画書を持ち込んだのがきっかけだった。「対策本はニーズが少ないとのことで進まなかったのですが、当時から、短大でイタリア文化の講義を担当していて、その内容に編集者さんが興味をもってくれて、思いがけず本を出版することになったんです。そして、本の出版がきっかけでテレビに出演することになったり、デロンギ・ジャパンとの仕事が始まったり。どこで何がつながるかなんてわからない。来たものは、まず引き受けてベストを尽くすことで、それが次につながっていくんだと思います」
デロンギ・ジャパンとの契約で仕事の規模が一気に拡大。2008年頃には、「いつか料理だけで生計をたてたい」という夢も叶えることができたのだ。
日本に恩返しがしたい!東北にマンマの味を届ける
デロンギ・ジャパンの商品展示スペース。デロンギ・ジャパン主催のデザインカプチーノ講座は大人気。ほかにもパン講座、離乳食講座、チーズ試食会などが定期的に開催されている。
「はじめは投資のつもりで教室の家賃を払おうと決めました。イタリア料理教室を開催する場としてだけでなく、デロンギ・ジャパンに商品の展示スペースを貸したり、教室を開きたい友人たちとコラボしてクラスを開催するなど、これまでにはない広がりが生まれています。運営が安定するまでには半年かかりましたが、チャレンジしてよかったなと思っています」
順調に日本でのキャリアを広げて来たアドリアーナさん。「日本に来て13年。今の自分があるのは、もちろん自分の努力もありますが、イタリアにいる家族の協力、そして力を貸してくれた周りの人がいたから」。今後も日本で料理教室を続けながら、イタリア式離乳食本の出版の実現に向けて準備を進めたり、テレビ出演なども積極的に引き受けていく予定だ。
スタンプカードもアドリアーナさんが自身でデザインし、作成したオリジナルのもの。1年で1ステップずつ進級するシステムで、進級時には教室の焼印が入ったキッチングッズがもらえる。「自分だったら、何をしてもらえたらうれしいか」という視点で工夫し続け、現在のスタイルにたどり着いたのだそう。
デロンギ・ジャパンはもちろん、いくつかの企業のサポートを受け、現地で活動するNPO団体と相談しながら、アドリアーナさんは準備を進めている。直接現地に行けない生徒さんたちにも、クラスで教えたケーキやトマトソースを作ってもらって活動に参加してもらう予定だ。彼女の明るい笑顔とおいしい料理が、被災した方々の明日を生きる元気の素になるに違いない。
ある一日のスケジュール
09:00 | 起床、朝食、身支度 |
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10:30 | 渋谷の教室へ向かう |
11:00 | 必要な食材を買い足す |
11:30 | 教室に到着 |
12:00 | 昼の料理教室開始 |
15:30 | 料理教室終了、後片付け、次の教室の準備 |
17:00 | 友だちが遊びに来てくれたのでおしゃべり |
18:30 | 夜の料理教室開始 |
21:30 | 料理教室終了、後片付け |
22:30 | 渋谷の教室を出る |
23:00 | 帰宅後、シャワーを浴びる |
23:30 | 次の日の準備、印刷物作成など |
01:30 | 自分の時間、ドラマなどテレビを見たり、スカイプで友だちと会話 |
03:00 | 就寝 |
ピンチもこれがあればOK!私の最終兵器はコレ
マンマに送ってもらうイタリアのヘーゼルナッツチョコレートはくつろぎタイムの必須アイテム。食べながらひとりで静かな時間を過ごすと、気分転換できて元気になれます。
Q&A - 自分スタイルの働き方を実現するための5つの質問
- 料理教室を運営していて気をつけていることは?
- いくら料理が美味しくても、皆が楽しめないと意味がありません。ひとりひとりをよく見て、その人にあった接し方や声かけをしています。マンマがそうしていたように、その人が得意とすることをお願いしたり、新しい生徒さんがいたら、クラスで馴染めるように話題作りをすることも。
- 仕事のボリュームコントロールはどのようにしていますか?
- 年に何回かイタリアに帰れるよう、いつも意識してスケジュールを組んでいます。月初めと月末はなるべく予定を空けるようにして、残りの3週間に料理教室の日程を組込みます。休日に仕事の依頼が来た場合には、旅行などの予定がなければ相手に合わせて仕事しますね。
- 外国人だから苦労したと思うことは?
- 難しいですね。あるようなないような。偏見もあるけれど、すべてはいいところと悪いところがあるじゃないですか。結局のところ自分がどういう風にするか、自分らしく生きることだと思います。苦労は逆に強みに変えればいい。差別的なことがあっても、逆にイタリア人だからこそできることもあるから、できることを探そうと思う。人に何を言われようと関係なく、自分を強く持っていれば、本当に何でもできるんです。
- フリーランスで働くメリットは?
- 私はこだわりが強すぎて、誰かの下では働けないと思うんです(笑)。仕事には、自分が好きなものや自分の今までの経験をどんどん取り入れていきたい。そして何より自分の信念に従って自分で全てを決めて行動したいから、フリーランスで働くしかない。どこかに所属して、自分の主義や自分の中にある完ぺきなビジョンを変えて働くよりは、苦しくても自分でやった方がいい。フリーランスは失敗しても責めるのは自分だけ、自分が間違えたから仕方がない。自分で責任を取れるのがフリーランスのいいところですね。
- 好きを仕事にしたい人への応援メッセージ
- できると自分で信じることができないと誰も信じてはくれない。相手に何を言われても、自分がいいと思ったら信じてやることが一番。そうすれば扉はおのずと開いていきます。そしてどんなことにもチャレンジしてください。自分の専門分野じゃなくても、自分の中に変わらない一本通った筋があれば大丈夫。とりあえずやってみると世界が広がるし、そこからいろいろなアイディアが生まれてくる。関係ないように思えることも、なにかのかたちで必ずつながります。
(写真・北川輝美)
何一つ無駄はない。私の前に道は開ける
新しい扉を開き続ける情熱の人