Vol.92 銭湯ペンキ絵師 田中みずきさん

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Profile

vol92_prof.jpg2003年、大学の卒論テーマ探しをきっかけにペンキ絵に出合い、銭湯ペンキ絵師・中島盛夫氏について見習いを始める。2008年に明治学院大学大学院博士前期課程を修了し、中島絵師のもとに弟子入り。見習い期間も含めて通算9年間の修行を終えて、2013年に独立。現在は昔ながらの銭湯をはじめ、全国各地のさまざまな場所でペンキ絵を制作している。その傍ら、銭湯の魅力を伝えることを目的に、2010年に結成された「銭湯振興舎」でペンキ絵広告の復活に挑戦しているほか、現代アートのレビューポータルサイト「カロンズネット」の編集長も務める。プライベートでは、昨年結婚し、新生活をスタートしたところ。

田中みずきさんのサイト「銭湯ペンキ絵師見習い日記」

ペンキ絵への思いを大切にして築いてきたキャリア

ある休日の昼下がり、江戸川区の閑静な住宅街にある銭湯「宝来湯」を訪ねた。男湯と女湯は棚で仕切られただけで、その間に番台のある昔ながらの銭湯だ。ペンキやローラーなどの道具が転がるタイル張りの洗い場の先には、壁一面に富士山の絵が広がっている。

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現場取材をさせていただいた「宝来湯」の外観

その壁に向かって黙々と作業しているのは、日本に3人しかいない銭湯ペンキ絵師の一人、田中みずきさんだ。元々描かれていた荒々しい波と険しい表情の富士山が、田中さんの手によって淡い色合いの穏やかな海と富士山に塗り替えられていく。その様子はずっと眺めていても飽きることはない。
9年間の修行を終え、昨年独立したばかりの田中さんに、ペンキ絵との出合いから独立までの経緯を伺った。

vol92_12.jpg「大学生の時に卒論のテーマを探していて、ペンキ絵に出合いました。現場を見に行くと、瞬く間に富士山の絵が出来上がっていく様子がおもしろくて。当時、若くても60歳近くの絵師さんしかいらっしゃらなかったので、この文化が消えてしまうのはもったいない! 100年後も誰かが湯船に浸かって富士山の絵を眺めながら1日の疲れを癒せるように、ペンキ絵を引き継いでいけたらいいなと思いました」

そして、自分の好きな絵を書く中島絵師のもとへペンキ絵を習いにいくように。現場がある度に同行し、絵の描き方を覚えていった。思いが高じた田中さんが師匠に弟子入りを頼むと、就職することを条件に受け入れてもらえた。

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こちらは男湯での作業の様子。この日は、テレビの取材も入っており、取材対応をしながらの制作となった。

「学校をでた後は、平日は会社員として働き、土日に現場が重なった時に絵を習いにいきました。ただ、現場に行ける機会が限られてしまったり、現場のあった次の日は疲れてしまったり、会社員生活とペンキ絵の修行を両立することが難しくなってしまって。結局、1年半ぐらいで会社を辞めてしまいました」

それ以降は、独立直後までの約3年、アルバイトをしながらペンキ絵の修行を続けてきた。「何年修行すれば独立できる」という定まった目標もない中、体力を要する現場作業と日々のアルバイトを両立する生活は大変そうだが、これまで辞めようと思ったことは一度もないという。ペンキ絵への思いを大切にする田中さんにとって、ペンキ絵優先のキャリア設計は自然なことなのだろう。

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左手に松を書いては、右の崖に陰をつけ、そちらが仕上がらないうちに海の真ん中に浮かぶ小舟を書き加え......。ペンキが乾く時間を見計らって、リズムよく描き上げていく。

手探りで見つけてきた自分なりの仕事のしかた

絵の描き方は師匠に教わったが、仕事の進め方については手探りで進めてきたという田中さんには、独立後に編み出した独自の仕事スタイルがある。その一つがペンキ絵制作に入る前につくるラフスケッチだ。

「ペンキ絵は絵師さんに完全にお任せになるのが一般的ですが、私は事前にラフをつくるようにしています。現場に足を運んで要望を聞いたあと、A3サイズぐらいの紙にアクリル絵の具でラフを数枚ほど描き、了解をもらってから本番に臨むようにしています」

vol92_9.jpgこうして制作前にひと手間かけることで、さまざまな気付きがあった。例えば、昔からペンキ絵がある銭湯でも、実は古典的なペンキ絵ではなく現代的なものにしてみたかったという言葉が聞けた。「当初は、自分の絵で納得していただけるか確認するつもりでやっていましたが、ラフを出すことで新たな要望や隠れたニーズを知ることができるので、やってみてよかったと思っています」。むしろ、なかなかラフへのOKが出ないところの方が面白くなってくるということもあるそうだ。

典型的な絵のパターンがあり、個性を出す芸術作品とは性質の異なる銭湯のペンキ絵。「ペンキ絵に対してどんなニーズがあるか、そして、それに自分がどう向き合えるかが見えてくると、いろんな仕事ができるのではないかと思っています」

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便利屋業を営み、足場制作を行っている夫も一緒に現場に同行する。作業環境の改善にも取り組んでおり、以前よりも高所での作業がやりやすくなったそう。

絵を使って銭湯文化を後世、そして世界へ伝えていきたい

田中さんは銭湯での制作に加え、公開制作などさまざまなイベントを行っている。そうした取り組みを行う理由はどこにあるのだろうか。

「描いている様子を見てもらうと、他の銭湯でペンキ絵を見た時にこうやってできていると分かって楽しいですよね。どんなきっかけでも銭湯やペンキ絵に親しみを感じてほしいんです。また、子どもと絵を描くワークショップをすれば、子どもは自分で描いた絵には親しみがわくと思うし、それをきっかけに家族と銭湯に行って家とは違ったコミュニケーションが生まれるかもしれません。そうして銭湯に馴染みをもった子どもが、その子どもたちに銭湯文化を伝えていくでしょう。将来のある子どもに銭湯を知ってもらえたらうれしい」

現代では縁遠い存在になってしまった銭湯を、自宅外の居場所として再び定着させたい、そのための仕組みをペンキ絵でつくっていきたいと、田中さんは語る。

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完成した富士山のペンキ絵

現在、日本の銭湯の数は減少しており、定期的にメンテナンスが必要なペンキ絵を止める銭湯も少なくない。しかし一方で、新たにペンキ絵を始める銭湯も出てきているという。昔から使い続けてきたものを再評価する動きがある今、時代を感じさせるペンキ絵は一つの価値になっているそうだ。また、銭湯に興味をもつ外国人観光客も増えていて、海外にも銭湯文化を広めていける可能性がある。

「ペンキ絵に対する新しいニーズを掘り起こしていけば、どんどん可能性は広がると思います」。田中さんの言葉は力強い。今後も、湯船の中からペンキ絵を見て一日の疲れを癒す風景は続いていくだろうと感じられた。

田中さんのお仕事道具

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手に絵の具のパレットのように持って使う容器と刷毛。この数色のペンキから、たくさんの色がうみだされる。空色のペンキは重要なので、別につくってある。

ある一日のスケジュール

ペンキ絵の現場は週に1回程度、それ以外の日は、お気に入りの曲を流しながらラフを書いたり、打ち合わせに出かけたりと、ゆるやかに過ごしているそう。

05:00 起床
06:00 出発
制作道具は全部あわせるとワゴン車がいっぱいになるほど。保管のため、近くに倉庫を借りている。前日に倉庫から道具を移動している。
08:00 現場入り
ペンキの用意、養生、足場の設置等の準備を開始。
10:00 制作開始
合間にお昼休憩を1時間ほど。絵の位置やサイズによって、制作時間も変わる。
20:00 制作終了
片付け
21:00 現場撤収
帰り道に道具を片付けに倉庫へ寄って帰宅。
23:00 帰宅
入浴、翌日の準備、メールチェックなど。帰り道に銭湯へ寄り道することもある。
25:00 就寝

ピンチもこれがあればOK!私の最終兵器はコレ

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疲れた時にいちばん助けられているのが「笛ラムネ」です。持病があって血糖値が下がってしまうことがあるのですが、これは血糖値をあげるのにちょうどいい分量で、しかもおまけのおもちゃがついているんです。非常時には笛も鳴らせますし(笑)。2〜3年前から、現場にはいつも笛ラムネを持っていっています。

Q&A - 自分スタイルの働き方を実現するための5つの質問

独立にあたって不安はありませんでしたか?

ブログで情報発信していたこともあり、弟子入り時代からいくつか自分にきていた仕事もありましたし、師匠が現場を選んで何度か絵全体を任せてくれたこともあったので、独立後のことはぼんやりとですがイメージできていました。独立する直前に決まっていた仕事もあったので、不安を抱く間もなく、具体的にどう仕事を進めるかということで頭がいっぱいでした。

オンとオフはどのようにバランスをとっていますか?

結婚してから生活リズムが大きく変わりましたが、ことさら意識して時間管理をするようなことはしていません。日々の仕事については、大体その日にやることを決めているので、突発的な仕事に備えて予備の時間も確保しています。その時間に仕事が入らなかったら、たまっていた雑用を片付けたり、普段できずにいたことをやったりします。
仕事については大まかな年間計画をたてていますが、どうしても仕事が重なってしまう時があります。そういう時はあきらめて、わぁーっとなりながらも、何とかなると思ってやっています。

絵をよくしていくために心がけていることはありますか?

絵の技術を向上させるには、ひたすら描くしかないと思っています。そこで、例えば、岩の光り方を銭湯ごとに変えて試してみて、うまくいった描き方は継続していく、という方法をとっています。
制作中は、描いてみては少し離れて確認し、ダメなら直すということを繰り返していますが、その際に現場に同行している夫の反応をみることもあります。自分でいいと思っても、他の人は違う感想を持つかもしれないので、わりと人の話は聞いて、取り入れられるものは取り入れるようにしています。仕事で悩んだ時には、のんびり銭湯に入っている人に話を聞くことが多いです。

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一歩さがって、絵を確認する田中さん

仕事をする上で女性であることはどう感じますか?

過去に女性のペンキ絵師はいませんでしたが、女性であることで働きにくさを感じることはありません。むしろ、お子さんが使う施設にすんなり入れたり、お子さんとのワークショップの機会をいただいたりと、女性であることが利点になる場合もあります。
絵を描く時にも、とくに男性・女性という意識はなかったので、以前「絵を描く時に女性らしさを考えるか」という質問を受けた時に初めて、女性らしさというニーズがあることに気付きました。もちろん古典的なペンキ絵も求められていますから、そういったニーズにも対応しつつ、女性らしさをいかしたこともできると仕事の幅が広がると思います。女性ペンキ絵師として、いろいろな仕事をしていけたらうれしいです。

今後のキャリアプランはどうお考えですか?

いつか子どもを持ちたいと考えているので、ある程度、休まないといけない期間は覚悟しています。また、40歳、50歳ぐらいまでやったら、体力的に大変なこともあるでしょう。
今は、実力的にも後輩をうまく教えられるほどの技術は備わっていないと思いますが、10年、20年経って、ペンキ絵をやってみたいという若い人が出てきたら弟子をとることもあるかもしれません。 自分が長くやり続けるよりも、後の世代が続いていける何かができたらいいと思っています。時代に合わせて銭湯のペンキ絵のあり方も変わっていくと思うので、そういったものを提示して、次につないでいければと思っています。

●現場取材にご協力いただいた銭湯

宝来湯


●田中さんの絵が見られるイベント

越後妻有大地の芸術祭の里 
まつだい「農舞台」限界芸術百選プロジェクト 田中みずき銭湯ペンキ絵展
日時:7月19日(土)〜10月26日(日) 10:00〜17:00
場所:まつだい「農舞台」
詳細はこちらから>>


●田中さんが登壇するイベント

京都銭湯芸術祭2014 トークイベント
「湯沸かしサミット〜芸術祭 あなたと一緒に 入りたい〜」
日時:10月5日(日)12:00〜13:30
場所:門前湯(京都府北区紫野門前町29)
ゲスト:田中みずき(銭湯ペンキ絵師)
    林宏樹氏(フリーライター/『京都極楽銭湯案内』著者)
    中村裕太(美術作家・タイル研究者)
詳細はこちらから>>

本多小百合

Writer 本多小百合

ライター・Rhythmoon編集部メンバー
建材メーカーで広報誌や販促物の企画・製作・進行等に携わった後、ランドスケープ系の団体で主に機関紙の編集に従事。結婚を機に、全国どこでも働けることを目指してフリーランスライターを志し、目下独立準備中。リズムーンでは、同士であるフリーランスを目指す方を応援できたらと思っています!

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