Vol.103 音楽マネージャー 鍵谷フライあゆみさん

スイスの秀逸ジャズミュージシャンたちを連れ、日本全国でコンサート

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Profile

大阪府生まれ、スイス・チューリヒ在住。短大英文科卒業後、ロンドンのオークション会社クリスティーズで鑑定を学び、同社日本美術部の研修生に。その後、宝石学で名高い学校GIA(ジェモロジカル・インスティテュート・オブ・アメリカ)ニューヨーク校で宝石の鑑定も修得する。
結婚を機にスイスへ。有名オークション会社シューラ―で東洋美術品の鑑定に従事して21年目。異業種の音楽マネージャー業を始めて約5年が過ぎ、2つの職に文字通り120%で励む日々。スイスのジャズミュージシャンたちのヨーロッパでのコンサートを計画し、日本や韓国ツアーには毎回同伴。新人の発掘も手掛ける。ジャズ愛好家が非常に多い日本に「優れた演奏家を紹介したい」と意欲に燃える。日曜日は完全オフで、スイス人の夫(会社員)と息子(現在16歳)と楽しく過ごしている。


鍵谷フライあゆみさん設立の事務所
KAGITANI music and art management  www.kagitani.com

125年前に建てられた工場を改装した劇場シフバウ(Schiffbau)に、鍵谷フライあゆみさんは、シルバーの小型スーツケースを手に颯爽と現れた。ここには、チューリヒで評判のシックなレストランや、開放的なバーのほか、ムーズ(Moods)というジャズクラブが併設している。鍵谷フライさんの副業は、フリーランスの音楽マネージャー。ムーズは、いわば彼女の庭。彼女の事務所に所属するジャズミュージシャンたちが、先月も演奏を行った。

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音楽業界は未知の世界。とにかく体当たりした

鍵谷フライさんの本業は東洋美術品の鑑定だ。鑑定の勉強や修業時代を経て、就職してから20年以上のキャリアをもつ。東洋のアンティークはここスイスにもたくさん眠っていて、国内で探し回ったり持ち込まれた品を鑑定したりする。年4回、勤務先のオークション会社内で開催されるリアルな競売の準備(カタログ作りなど)は、とくに精根を使う。

ずっと正社員として働いている。ただし、スイスでは1人分の仕事を複数の社員たちで分け合うこと(ワークシェアリング)ができるため、勤務時間は出産を機に80%に軽減し、その後は育児を楽しみたいと60%にして、いまに至る。残りは彼女のアシスタントがカバーしている。約5年前に始めた音楽マネージャー業が徐々に忙しくなって、この副業にも本業とほぼ同じ時間を費やしている。

「スイスで開かれるアートフェアに出店する日本のギャラリーのサポートをしたり、日本画家である私の母の展覧会をスイスで数回企画したり、日本の画家のために力を尽くしたことはありました。でも音楽分野のマネージャー業はまったく経験がありませんでした。日本のジャズ業界のこともよく知らなくて。息子のバイオリンの先生だったトビアス(トビアス・プライシク/Tobias Preisig ジャズ・バイオリニスト 当時は音大生)が、いつか日本で演奏してみたいと言って、こんなに素晴らしい才能がある人をマネージメントしてみたいなと思ったのが、第2の仕事を始める直接のきっかけでした」

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バイオリンでジャズを奏でるトビアス・プライシクは、鍵谷フライさんが最初に手掛けたミュージシャン。多数のジャズフェスティバルに出演中。写真は2015年東京ジャズフェスティバルの模様。
英語ホームページ www.tobiaspreisig.com (最新情報掲載)
日本語ホームページ http://www.tobiaspreisig.jp/(徐々に更新中)

2013年に、トビアスは幸運にも、スイス文化財団(Pro Helvetia)から海外で活動するための特別な資金援助を3年間もらえることになり、彼女は日本のジャズコンサートのことを本格的に調べ始めた。日本の雑誌を買い込み、ネットで各ジャズクラブの特徴を調査し、一時帰国したときに会う約束を取りつけて、東京、横浜、大阪、神戸で何軒もと交渉した。

「こういうミュージシャンがいるのですが出演させてくださいませんかと、歩いて回りました。みなさん、門外漢の私によく会ってくださったと思いますね。経験ある業界人が活躍するのが普通ですから、あちこちで《こんな人初めてだ》と言われましたよ。でも、それを面白いと思ってくださって、9軒からよいお返事をいただけたのです。

多くの方たちが話をきちんと聞いてくださって、ビザのことを始め、いろいろと細かい点について教えてくださり、本当に親切にしていただきました。大阪や京都などのジャズクラブとはいまも懇意にしていただいています。

スイス大使館の方々や福岡の古民家のオーナーで素晴らしいベーシストの松永誠剛さん映像作家の山口浩平さん、グラフィックデザイナーでジャズ雑誌の編集長の藤岡宇央さん、音響の福岡功訓さん、ほかにも数えきれないたくさんの方々との出会いにより、いまの私の活動が成り立っています。

日本の両親や友人にも言葉に尽くせないくらい大変お世話になっております。心から信頼できる人との繋がりってすごいことです。本当に、頼れる人があっての私です」

小さい一歩が、鎖になって発展した

とはいえ、トビアス(と彼のバンド)は新人だったし、ヨーロッパのミュージシャンはお客さんが入らないからと断られたことも少なくなかった。「日本そしてアジアで、トビアスと彼のバンドを何としても売っていきたくて、命を懸けていましたね」と振り返るほどの情熱で頑張った。

そのうち、日本の大きなフェスティバルに出演するスイスのミュージシャンたちから、声がかかるようになった。日本に行くのに、それ1つだけの出演ではもったいないから、いくつかコンサートを企画してほしいという依頼だ。それらを引き受けたおかげで、鍵谷フライさんは、写真家やジャーナリストも含めて大きなフェスティバルの関係者たちとたくさん知り合うことができ、ネットワークが格段に広がった。

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写真はヨーロッパ各地で開催され、ミュージシャンたちをつなぐ「マッチ&フューズ」フェスティバル。鍵谷フライさんは、スイスでのプロデューサーに就任。裏方として英仏なども訪れている。目下、同フェスティバルの初のチューリヒでの開催(2017年9月予定)準備にも取り組んでいる。

こうしてKAGITANI music and art managementの名は、日本で演奏したいというミュージシャンたちの間で広まっていった。もう、ヨーロッパ内からはもちろんのこと、中東やアメリカからも問い合わせが絶えない。

「時間的にどうしても無理で、この人の音が好き、性格が好き、一緒に仕事をしたいと心から思えるミュージシャンだけを選んでいます。面白そうな話もたくさん来ますが、吟味した上で断らざるを得ません」

古美術品は売れなくても次がある、コンサートは毎回がとても大事

日本ツアーには、つきっきりだ。日本の会場や関係者たちに、気持ちよく海外のアーティストと仕事をしてもらうには、言葉の壁を越えなくてはいけない。彼女の通訳は欠かせない。橋渡しの仕事は、言葉に関してだけではない。ミュージシャンたちの心身の状態も最良にしておかないといけない。時差や気候の違いから起こる体調不良をケアしたり、皆が気分よく過ごせるように気を遣う。

「バンドメンバーの体調管理は、非常に大切です。1人が体調を崩すとバンド全体に支障が出ますから。いい演奏をしてもらうためには、みんなを終始いい気分にさせておくことも大事です。初めのころは、日本人の感覚で何から何まで気を配ってきちんとしようとして、私の方がイライラしてしまっていました。たとえば食事に関してみんなの意見を聞いて調整しようとしたり。いまは、今晩はこれを食べに行きます!と指示します。観光の時間が取れた場合は、見たい場所をやはり聞くのではなく今日はオフだよ、ここに行くよ!と言います」

日本では移動が続く。交通手段の不具合(台風で飛行機が欠航など)に柔軟に対応することにも配慮する。きめ細かく、かつ、きびきびした判断が、最良の状態でのコンサートにつながるというわけだ。

考えるのは、関係者たち、楽しみに待っているお客さんたちのことだけではない。ミュージシャンたちのキャリアのことも考えている。

「もし私が間違ったことをすると 彼ら、彼女らのキャリアに傷がつきます。ですから、しみじみと責任の重さを感じます。でも、それが醍醐味でもあると思っています。人のキャリアのために動いているのは、鑑定した品を売るのとは違います。鑑定の仕事は、毎日違う品物に接して面白いし、売れたり売れなかったりの動向を目の当たりにするのも楽しいです。とはいえ、それらはすぐに売れなくても、いつか売れるチャンスがある、ミュージシャンたちは1回1回の出演を積み重ねることが次のチャンスに繋がるわけです」

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ヨーロッパで話題の歌姫エリーナ・ドゥニは、2016年9月に初来日。
沖縄、福岡、大阪、東京を巡り、ソウルでも公演した。インタビューを多数受けて、注目ぶりを発揮した。

家族の中で自分を客観視して、「自分らしさ」を主張して

話を聞けば聞くほど、鍵谷フライさんのバイタリティーには感心する。それを支えるのは、彼女のモットーだ。「私のモットーは《Where there is a will, there is a way(意志あるところに道は開ける)》です。やりたいと思ったらやらないと、何も生まれないですよね。もう、学生のころから、ずっとこの精神で生活してきました。

私はトビアスのマネージメントの話が具体的になる前、鑑定の仕事を10年以上やってすっかり慣れて、何か新しいことを始めてみたいという気持ちがわいていました。

ちょうどそのころです、2011年夏に、チューリヒで、東日本大震災のための大規模なチャリティーコンサートを、私と同様スイス在住の日本人舞踏家の平敷秀人さんと2人で企画しました。国籍関係なくクラシック音楽家、ジャズミュージシャン、ダンサーなど総勢30組以上ものアーティストが参加してくれました。このときに、《私、マネージメントが得意かもしれない》とインスピレーションを感じたのです。自分がしたいことをやってみたから分かった、トビアスのことも《やってみよう》という純粋な気持ちでやってみたわけです」

この姿勢を、彼女は、フリーを目指したい女性たちにも薦める。「いまの自分の状況を見て諦めないで、やりたいことはぜひやってほしい、やり続けてほしいと思います。もちろん、家族がいたら家族のサポートは必須ですね。《私にはこれが必要》という自分の立ち位置を理解してもらわないと、やはりフリーの道は難しい気がします。だから説得する方法はいろいろ考えて」

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「私の場合は本当にラッキーだと思います」。鍵谷フライさんは、最後にそう語った。

「夫は本当にサポートしてくれて、否定的なことはまったく言いません。彼もトライアルバイクという熱中する趣味をもっていますが、私もそれに対して絶対に何も言いません、対等な関係を築けていますね。息子ともです。私が若い人たちと接することが多いためでしょう、息子に対しても若者の目線で見てあげることができて、友だちのような関係です。こんな関係はとても心地いいですね」

●鍵谷フライあゆみさんのお仕事道具

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シルバーの小型スーツケースを常に持ち歩く。中身はこちら。メールやスケジュール管理に不可欠なノートパソコンほか、サッとメモを取る黒い手帳も手放さない。中央は所属ミュージシャンのCD (写真はトビアス・プライシク)で、営業用に複数枚用意している。最近、ミュージシャンたちの撮影を自ら始めて、カメラも加わった。
なお、アジアツアー時には、行きの機内でしっかりと眠るため、導眠剤は必携。日本に到着した直後から、エネルギー満タンで動けるようにするためだ。

ある一日のスケジュール

07:50 起床
09:00 会社出勤(オークション会社)
次のオークションのための〆切が近いので商品を鑑定してカタログ制作
12:00 会社の同僚とランチ
13:00 スーパーで家族の食事の買い物
14:00 家に帰ってマネージメント業の仕事をスタート
(メールの確認、ジャズクラブやフェス等に出演交渉のメールを送る、先日のコンサートで撮った写真の処理、気になるクラブやフェスのプログラムやソーシャルメディアで面白いアーティストをネットで検索)
18:30 家族の夕食の用意
19:00 家族と夕食
20:30 Moodsに今日出演のミュージシャンをチェックがてら、業界関係者やミュージシャンと交流
22:30 帰宅
24:00 就寝

ピンチもこれがあればOK! 私の最終兵器

アマチュア・ジャズバンドのボーカリストをして、歌で自分を発散できています。私はバイオリンもずっと弾いていたのですが、歌はもっと裸になりますね。歌は小さいころから好きでした。ジャズの歌い方は独学です。マネージャーの特典で、プロをじっくり観察して歌い方を学んでいます。

構成はピアノ、ドラム、コントラバスの4人(カルテット)です。メンバーは会社の経営者とか大学の教授などで、みんなすごく忙しいのが当たり前の中、毎週水曜日夜に練習しています。家庭あっての趣味ですから、家族の用事があるときはどうぞいってらっしゃい!と言いますが、それ以外は必ず集まっています。地域のお祭りや友人の結婚式、レストランなどでコンサートをしています。練習のあとはビール1杯とピザ一切れでおしゃべり。最高です!

(プロたちに敬意を表すため、Webサイトを作って宣伝はしていないそう)

Q&A - 自分スタイルの働き方を実現するための5つの質問

ーー身だしなみで気を使っている点は?
主役はミュージシャンたちです。私は目立たないようにと、黒子をイメージして上下、黒の洋服で統一しています。眼鏡も黒いフレームです。
ーーマネージャーの収入は、どういう仕組みですか?
ツアーのときは、ミュージシャンたちからツア―マネージメント代を別途いただきます。普段は出演料の何パーセントかをいただいています。頑張っている人や売れている人と組めば、私の収入は増えます。ただギャラの高低はミュージシャンの力量だけで決まるわけではなく、会場にもよりますね。ムーズのように有名ジャズクラブですと適切な出演料をきちんと払ってくれますので、私の収入も上がります。
ーー日本ツアーは、ある程度余裕をもって日程を組みますか?
ある程度は、ですね。日本での滞在が長くなればなるほど、彼らはヨーロッパではコンサートができないし、レッスンなどで稼ぐ回数も減るわけですから、必然的に収入も減ることになります。彼らの生活がかかっていることを忘れないで、スケジュールを組んでいます。
ーーストレスを感じることはありますか?
ありますね、もう本当に何もしたくないと感じたり、体に圧迫感が走ったり。旅行が好きで、心身とも完全にリラックスすることを念頭に家族や友だちと旅行します。
ーー今後も2つの仕事を続けますか?
多分続けると思います。ただ、マネージャー業やフェスティバルのプロデューサー業がすごく忙しくなってきて、オークション会社での責任も年々と重くなってきました。いま40代後半で、体力的に少し苦しくなってきたこともあります(笑)。両方の仕事をきちんとしながら両立させていきたいです。
無理をせず体調に気を付けつつ、家族との時間も取って充実した人生が送れるように、ゆっくりと作戦を練ります。もちろん「必ず道は開ける」の精神は忘れません!
岩澤里美

Writer 岩澤里美

スイス在住ジャーナリスト。東京で雑誌の編集者を経てイギリス留学、2001年よりチューリヒ(ドイツ語圏)へ。興味のおもむくままヨーロッパ各地を取材し日本のメディアに執筆中。社会現象の分野やインタビュー記事が得意。NPO法人Global Press(在外ジャーナリスト協会)理事として、フリーの女性ジャーナリストたちをサポート。息子は、私の背丈を超えるまでに成長。
http://www.satomi-iwasawa.com/

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