Vol.109 靴職人 永島珠野さん「仏の靴職人から学んだ技で、手作りの靴を届け続ける」

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Profile / 靴職人 永島珠野さん

27歳で渡仏後、靴への興味が一気にわき、靴職人モリス・アルノー(故人/当時92歳)と出会う。彼のもとで約2年の修行を積み、30歳でフリーランスの靴デザイナーとして「Tamano Paris タマノ・パリ」を設立。デザインを考え、製造は工場に依頼し量産を続けていたが、妊娠を機に一旦休業。ところが、噂を聞きつけた仏人たちから「オーダーメイドを」と懇願され、靴職人として1足ずつ手作りを始めた。2005年、パリ中心部に実店舗をオープンするが、建物の老朽化により2016年から店舗は閉鎖中。目下、日本向けにオンラインで販売。Tamano Parisは、有名な靴ブランドを紹介した事典『シューズA-Z』(日本語版2011年刊)に掲載されている。プライベートでは、中学生の娘と二人暮らし。
■Tamano Paris:http://www.tamano-paris.com/

■日本でのTamano Paris限定ショップがオープン!

Tamano Paris in Tokyo (永島珠野さん在中)
日時:2017年4月8日(土)、9日(日)、10日(月) 各日11:00~20:00
場所:アートインギャラリー 東京都渋谷区神宮前4-25-3
http://art-in-gallery.la.coocan.jp/


Tamano Paris in Yamagoya 
日時:2017年4月21日(水)、22日(木)、23日(金) 各日13:00~19:00
場所:gallery and shop 山小屋 東京都渋谷区恵比寿1-7-6 陸中ビル 1F
http://galleryyamagoya.blogspot.ch/

パリ郊外で、庭付き2Kのアパルトマンで娘と暮らす永島珠野さんは、すべて手作りで靴を作る職人だ。パリで修業し、人気の商業地区に10年店を構えた後、現在は、ドイツの靴屋のパリ支店に勤めつつ、自営のほうはスローペースで続けている。

情熱と出会いで始まった靴作り

靴作りは、日本にいたときからやりたかったわけではなかった。パリに住むフランス人の友人デザイナーの誘いで渡仏。デザイン関係の会社を手伝っているうちに靴への興味がわき、人づてで当時92歳の靴職人モリス・アルノーと出会った。

「男社会の靴職人の世界を女性にも知ってもらいたいと、モリスは大勢の女性を教えていました。アトリエを訪ねたら、『真剣に学びたいのだったら、明日、朝から通いなさい』と言われて。私の中に迷いはなく、出会った翌日から修業が始まりました」

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「教えられることは、すべて教えたよ」というモリスの言葉で、朝から晩までの修行生活を卒業した。

いつも必死に乗り越えて、次のステップへ

珠野さんは、モリスのことを人生の師匠だともと思っている。それほど尊敬して大好きだったので、修業を終えて、独り立ちした姿を早く見せたいと意気込んだ。

靴を自分で作って売るのは時間がかかる。どうしたらいいか。とにかく自分の靴を売るとしたら、デザインをして、製造は工場に依頼すればいいと思いついた。こうして、ブランドTamano Parisを立ち上げて、靴デザイナー永島珠野がデビューした。

でも、初めの一歩はスムーズではなかった。まだ学生の身分だったので、商業ビザの取得が簡単ではなかったのだ。当局と交渉したのは珠野さん自身だった。「振り返ると、よくやったなぁと思います。必死でしたからね」。

ビザはなんとかなったが、次の問題がすぐに起こった。うれしいことに、最初から何百足もの注文が入って舞い上がるほど嬉しかったのに、納得のいく仕上がりにしてくれる靴工場を見つけることができなかったのだ。

「靴工場にとっては、大手アパレル企業からの注文通りに作るのが簡単だし利益になるので、私のように個人の依頼で靴を作るのは、できたらやりたくないのです。私にはこだわりがあって、私のモデル通りに作ってもらわなければ絶対に売らないと思っていました。思いつく限りの工場に当たってみたけれど無理だとわかりました」
 
「どうしても注文は断りたくない!」

覚悟を決めた珠野さんは全部を1人で手作りして、無事に納品した。体は壊れる寸前だった。そのあとも、次々と起こる大小の問題を必死で解決しながら、靴作りに携わった。

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Tamano Parisの人気商品の1つエスパドリーユ(麻製の靴底のサンダル)。品質が優れた昔ながらの技法で有名な仏バスク地方の職人たちとのコラボ品。最初は門前払いで、情熱が伝わるまで珠野さんは何度も足を運んだ。

手作りの靴屋として定着

珠野さんは経験を積むため、また気分転換のためにと、しばらくイタリアに住んで靴作りをした。その後、妊娠を機にパリに戻り出産。産休中、「デザインだけではなく、靴を一から作る職人として自分の店を持とう」と決意した。

2005年、靴屋Tamano Parisは、パリで人気の近代美術館ポンピドゥー・センターのすぐそばに、オーダーメイドで一足ずつ靴を作る店を構えた。珠野さんの手作りの靴は、パリジェンヌからも観光客からも親しまれていた。オリジナリティにあふれるデザインは見ているだけで楽しくなってくるし、試してみれば履き心地のよさに彼女の職人技が感じられる。

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2015年末まであった実店舗Tamano Paris。店内で靴作りをしながら、訪ねてきたお客さんに対応するスタイルだった。場所が気に入って、店舗の空きが出るまで、ずっとチャンスを待っていたという。

パリには彼女のような靴屋はない。モリスがまだ生きていたころ、靴作りを学びに来ていた女性は多かったが、あくまで趣味で学んでいた。大量生産の安価な靴、有名ブランドの靴が星の数ほど市場に出回っている中、個人の靴屋が生き延びていくことは並大抵なことではなく、数店あった自作自営の靴屋は消えていったという。Tamano Parisの店舗経営も同様に大変だったという。

「幸い、お店の賃貸料はそんなに高くなかったのですが、年2回の展示会に出展するための費用や生活費すべてを合わせると毎月必死でした。ただ、私の靴をファッション業界や一般の人に広く知ってもらうためには、展示会への参加は外すことができなかったです」

店をたたみ、娘と日本に帰ろうかと思ったことも何度かあった。だが、フランスで産まれて生き生きと学校へ通っている子どもを見て、「間単に引き上げることはできない」とその都度思い直した。

そうして続けたお店は、次第に外国のガイドブックや雑誌などにも広く紹介されるようになっていった。

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10年で突然の店舗撤退。そして新たなステージへ

最近の難局は、店の立ち退きだった。オープンから10年、ようやく落ち着いてきたところだったというのに、建物を所有するパリ市からの勧告だった。パッサージュ(アーケード街)を工事するという話を聞かされた。理由は建物の老朽化だった。

「退去は困りましたね。移転すると言っても、短期間でいい物件を探すことはパリではほぼ不可能ですから。働かないと生活に困るので、お店を一旦たたむことにして、急いで、フルタイムの就職先を探しました。運よく、仕事はすぐに決まりました」

店じまいに合わせて引っ越し、いま少し落ち着いたところ。まもなく開く日本での「Tamano Paris限定ショップ」に向けて、準備に精を出してきた。店舗の再開は未定で、パリの中心部から30分のこの自宅に来てもらってオーダーを受けるのもいいかなとアイディアも浮かぶ。「自分で事業を起こして続けるのは大変です。しかも外国にいるわけですから、たくさんの問題が起きて当たり前です。私は1人で乗り越えてきたとは思っていません。いつもいろいろな方に助けられて、どうにかやってこられたのです」。

最後に、珠野さんのこれからの展望を聞いてみた。

「こんなふうになったらいいなという夢はありますが、将来はどうなるか誰にもわかりません。目の前の現実を一つひとつ乗り越えてきて、いまの私があります。人生は、良いときも悪いときもあるし我慢の時期もありますね。いまの私は、少し我慢の時期だと思います。のんびり焦らず進んでいくつもりです」

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革の半端な部分を材料にした珠野さん作のピアスやイヤリングなど。土台は靴底用の厚い革、表面は靴の表の革。「動物への感謝の気持ちは常にあります。自分が買った革は最後まで使い切るのが役目と思っています」

ある一日のスケジュール

6:00 起床。お湯を沸かして朝食準備。お米をといで、夕食の準備も一緒にする
7:00 子どもと朝食。夜は、顔を合わす時間が少ないことが多いので、朝食は一時間ゆっくりと取って、学校のこと、友達のこと、昨日の出来事をお互い話しまくる
8:00 子どもは学校へ。出勤の準備をしつつ、家事(掃除や洗濯など)でできることは、この時間にすべてやる
9:30 パリ市内まで、出勤
10:30〜19:30 一時間のお昼休みに、自分の靴作りの仕事のため、材料屋へ買い物に行ったりする
21:00 帰宅。子どもは18時に夕食を済ませ、20時に寝る習慣なので、なるべく音を立てないようにする。軽く食べて、自分の仕事を必ず、最低でも一時間はする
24:00 就寝

永島さんのお仕事道具を拝見!

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師匠のモリス・アルノーや、ほかのベテラン靴職人から譲り受けたものばかり。アンティークと呼べるほどの昔の道具で、いまは入手不可。たとえ同じ種類を買っても、昔のものと作りが違うので使い勝手が全然違うそう。「モリスは道具にニックネームをつけていて、1つひとつの道具にも愛情を抱いていました」と珠野さん。靴職人の友人と「お互い頑張ろうね」と契りを交わす証として交換した道具もある。

ピンチもこれがあればOK! 私の最終兵器はコレ

娘です。娘がいたから、私はここまでがんばってこられました。いろいろつらくて毎日泣いていたときに、あの子がお腹にいて、一緒に歩んでいこうねと生まれる前から話しかけていました。靴作りは自分の全情熱をかけてできる仕事ですけれど、子どもがいなかったら、私は、こうして靴の世界でがんばれなかったと感じるほど、私にとって娘は大切です。賞をいただいたりして自分の力を評価してもらえて嬉しかった、でも娘と暮らして靴を作ることが私の1番の喜びです。

岩澤里美

Writer 岩澤里美

スイス在住ジャーナリスト。東京で雑誌の編集者を経てイギリス留学、2001年よりチューリヒ(ドイツ語圏)へ。興味のおもむくままヨーロッパ各地を取材し日本のメディアに執筆中。社会現象の分野やインタビュー記事が得意。NPO法人Global Press(在外ジャーナリスト協会)理事として、フリーの女性ジャーナリストたちをサポート。息子は、私の背丈を超えるまでに成長。
http://www.satomi-iwasawa.com/

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